2021年2月に近未来ディストピアSF『Mガールズ』を世に問い、児童文学界でいち早くアフターコロナというテーマに挑んだ濱野京子が、今度はコロナの休校開けの中学校を舞台にしたリアリズム作品を出してきました。
主人公は美術部に所属するメガネ男子立花輝*1。彼の通う学校には、ひとつ謎がありました。それは、昇降口にある黒板に制作者不明の黒板アートが施されていたこと。ささやかな謎をはらみながら、非日常の日常が続いていきます。
高踏的で余裕のある三人称の語りが特徴的です。どこかユーモアを湛えた語りは、かえってコロナ禍という状況の不気味さを引き立てます。たとえば、遠い世界のことだと思っていたコロナが近づいてくるという噂の語り方。はじめは「母の同僚の連れ合いの叔母さん」というほぼ他人というボケだったのが、「父の知人(友人)の知人(甥)」になり、やがて「知人の知人」になっていきます。都市伝説のFOAFのことであればそれが我がことになるのはありえませんが、切迫感がギャグから現実になるという状況が感染症の不気味さであると。
不気味な状況のなかで、子どもたちも不気味な側面を現してきます。「汚れた」マスクをする生徒が増えてくるという状況、マスクをしているため発言の主がわからなくなるという状況。マスクに隠された見えないところで生徒にさざ波が広がる状況は、見えない感染症が拡大する状況と似ています。
「マスク」は見えないもの、隠されたものの象徴です。一方で「黒板」は、制作者こそ隠されているものの、この作品では表現のためのキャンバスという役割を果たします。コロナ禍という状況のなかでこの作品が描き出しているのは、隠されたものと表現されたもの、隠されたことと表現されたことのせめぎ合いです。