自分の意思に関わらず生き物や自然現象を引き寄せてしまう特異体質の人々「呼人」が存在する世界を舞台にした連作短編集。第1話の雨を呼び寄せてしまう特異体質がわかりやすい例ですが、周囲への影響が大きすぎるためひとつの場所に定住することができず、公的な支援も受けながら旅をしています。
社会派児童文学としてみると、様々な差別事象のサンプルとして優れた作品です。ただし、被差別者も差別者も一様ではなく、個々の相貌を持っています。マイノリティが他者と連帯したりしてそれぞれに生きるさまをしっかりと描いているところに文学性があります。また、長谷川まりるの言語センスのよさもあちこちにあらわれていて、特に「ティア子ちゃん」というあだ名つけのセンスが光っています。
美点を挙げていくときりがないので、各作品の内容もみていきましょう。第1話の主人公のあかりは、雨女の呼人の紫雨が小学校最後の遠足に参加したいと言い出したためアスレチックの予定が流れて博物館になったことに反感を抱いています。ほかの児童はものわかりよく受けいれます。それは無関心ゆえ、もしくは特別扱いという差別をしているがゆえです。あかりは過去のいきさつもあって紫雨に強い感情を抱いているからこそ、衝突しています。もっとも攻撃的な差別をしているあかりがもっとも紫雨のことを思っているという状況が興味深いです。
第2話の呼人のつづみは、母親から差別されています。父親は差別者ではありませんが、母親もかばっているためつづみの味方になりきれません。父親は母親について、「繊細な人」とオブラートに包んだ言い方をします。『満天inサマラファーム』の読者が読むと、これは母親が深刻な精神疾患を持っていることの示唆なのではという疑いが頭をもたげてくるのではないでしょうか。長谷川まりるは非常にデリケートな領域にも果敢に踏みこんでいきます。
第3話では、差別の物語化を解体しています。第4話は呼人を支援する側の人が主人公で、現代日本の福祉の状況への痛烈な皮肉が展開されます。
第5話では、マイノリティも他人に欲望を持つし他人を利用することもあるという当たり前のことが描かれています。主人公の慧正は、男を呼び寄せてしまうという常に命の危険にさらされる体質の持ち主です。ホテルで女性の従業員に対応してもらうため近くにいた女子三つ葉に伝言を頼んだところ、三つ葉は部屋までついてきて自分も一緒に泊めろと脅迫してきました。公的な支援を受けている慧正とセーフティネットからこぼれ落ちている三つ葉という視点でのみ判断するなら、三つ葉のほうがより困窮度の高い弱者であるといえます。ここでも、弱者と弱者の対立という難しいテーマが扱われています。
そして、最後の話で視野をばっと広げる構成が美しいです。