『ランドリーの迷子たち』(シャネル・ミラー)

2025年のニューベリー賞オナー。

マグノリア・ウーは、十歳の誕生日が待ちどおしくてたまらなかった。だって、九歳の数字「9」は、種からちっぽけな芽が出てきたところみたいで、かんたんにふみつぶされそうだから。そこへいくと「10」は数字がふたつあって強そうだし、戦士がかかげる剣と盾みたいで、なんだか世界を征服できそうな気がする。

というばかっぽい書き出しと、こちらをにらみつけてくるような独特の絵柄*1の少女の目力に、はじめから魅了されてしまいます。
しかし、実は楽しい誕生日は訪れそうにありませんでした。マグノリアにはひとりも友人がいません。中国からニューヨークにやってきてコインランドリーを営んでいる両親は多忙で生活もかつかつ。娘の誕生日を盛大に祝ったりお出かけをしたりする余裕はありません。マグノリアのコインランドリーでの任務は、忘れられたかたっぽだけのくつしたを拾ってコルクボートに貼り付けておくこと。でも、おとなたちはみんな忙しくてくつしたのことなどかまっていられないらしく、迷子のくつしたを引き取りに来る人はいませんでした。

「正解なんていらないよ。とにかく、はじめてみよう」

そんなマグノリアの前に、アイリスという少女が現れてたちまちなかよくなります。アイリスはくつしたをヒントに持ち主を推理して探し出そうと提案してきます。こうして「ニューヨークくつした探偵団」が結成されました。
ニューヨークというと広大なようですが、ひとつのコインランドリーの守備範囲は意外と狭い世間で、顔見知りばかりです。ふたりがくつしたの謎解きを通して周囲の人々について深く知っていくというパターンが繰り返されます。
たとえば、マグノリアをいつもからかっていた男子アスペンが実は日常的に暴言を吐く父親に苦しまされていること、ぬいぐるみの洗濯を通してマグノリアの父親に心を救われていた過去を持つことを知るエピソードなどは、胸を打ちます。そこにフラミンゴの生態を絡め、「すっと灰色でいられるといいね」といういたわりの言葉で締めるのが美しいです。
終盤に登場する日系人の清掃員イシオカさんも、強烈な印象を残します。『モモ』しかり、児童文学の掃除夫は人生で大切なことを教えてくれます。
ただし、人と人とが強くつながるには衝突を避けることはできません。はじめてできた友だちと仲違いして修復の方法がわからず、友だちのために家庭内で極端な行動に出るマグノリアの善性にも泣かされます。ついでに母親とも衝突して溝を埋めていきます。
笑えて泣けて、どうしようもない人間も多いけど世界には希望もあると感じさせてくれる、児童文学の醍醐味を味わわせてくれる作品です。