『ポー短編集 黒猫』(原作/エドガー・アラン・ポー 文/にかいどう青)

もちろん、「黒猫」のような残酷な猫虐待小説が良書なわけがありません。でも、文学を愛する人々はみんな知っています。子どもにはむしろ悪書をこそ手渡すべきだということを。
ポプラ社〈ホラー・クリッパー〉シリーズの第5弾。いままで三田村信行富安陽子松原秀行・令丈ヒロ子といった人気実力を兼ね備えた押しも押されもせぬベテランが並んでいたシリーズでまだキャリアが10年に満たない作家が起用されるのは通常なら違和感が持たれそうですが、にかいどう青であれば当然という感じがします。
にかいどう青が選んだポー作品は以下の通り。

「黒猫」
ウィリアム・ウィルソン
「赤死病の仮面」
「アモンティリャードのたる」
「落とし穴とふり子」
「ひとり」

ここでは、にかいどう青という作家を理解するための手がかりとして収録作をみていきます。
収録作のほとんどは、死を前にした人の手記・告白という形式のものです。「黒猫」の主人公は絞首台を前にしていて、「ウィリアム・ウィルソン」も死を目前に控えた人の手記です。結果的に助かるものの、「落とし穴とふり子」も死刑宣告をされた者が白い紙に書き記した手記。「アモンティリャードのたる」ははっきりとはしていませんが、光文社新訳文庫版『黒猫/モルグ街の殺人』の訳者の小川高義は作品の冒頭に一度だけ「you」が使われていることから、これは死を前にした老犯罪者が自分の罪を聖職者に告白したものなのだと解釈しています。この作品集は、露骨に読者を死に向きあわせようとしています。
最初に配置された「黒猫」では、はじめは親友だった猫に対する愛情が裏返ります。愛と憎悪が表裏一体であるというのは、にかいどう青作品でも繰り返されているテーマです。
その意味において黒猫は他者ですが、次に配置された「ウィリアム・ウィルソン」を参照すると、別の見方ができます。殺しても殺しても蘇り、いくら逃げようとしても逃げ切れない存在とは、自分自身に他なりません。ここで他者と自己が同一のものになります。この2作を続けてみると現れてくる自己と他者の混同・とけあいから、いくつかのにかいどう作品において(主に同性間の)恋愛は好きな相手と一体化することによって成就することも思い起こさせます。
最後にひとつだけ詩の「ひとり」を配置しているのも意味ありげです。自己と向きあい孤独を志向する態度.。にかいどう青は主にどのようなタイプの子どもに語りかけようとしているのか、その姿勢がみえてきそうです。