「児童文学のなかの障害者」(長谷川潮)

児童文学のなかの障害者

児童文学のなかの障害者

 障害という観点から近現代の児童文学を論じた研究書です。明治時代の石橋思案による翻訳「寧馨児」に始まり、現代の丘修三、佐藤州男まで。出版社のサイトで目次が公開されているので参照してください。
 障害を扱った児童文学を検証するという作業は、同時にその時代の障害観を洗い直す作業にもなります。児童文学史としてだけでなく、人々の障害に対する認識の変遷が見られるという意味で興味深く読みました。
 たとえば宮沢賢治は「貝の火」で、新美南吉は「百姓の足、坊さんの足」で、障害を因果応報として捉える立場から作品を描いていました。また、斉藤隆介は「立ってみなさい」で怠けの比喩として障害を利用していました。ここであげた作家はみな優れた童話の書き手として尊敬されている人物ですが、彼らでも当然時代の差別意識から逃れることはできません。しかし考えてみれば、これらの差別的な障害観は現在でも克服されたとはいえません。障害を因果応報と捉える考え方なんかは、健康管理が自己責任とされている現在、むしろ強化されているといえるかもしれません。
 この本ではハンセン病をめぐる問題についても大きく扱われていました。私は過去にハンセン病問題に関心を持っていたことがあるので、この部分は特に衝撃的でした。
 1981年の「青少年読書感想文コンクール」で、「ばらの心は海をわたった」というハンセン病問題を扱ったノンフィクションが課題図書になったことがありました。ところがこの本は、民族浄化思想に基づいて強制隔離政策を推し進めた光田健輔を肯定していたそうです。1981年でこの程度の認識だったとは。
 また灰谷健次郎ハンセン病に関わる差別事件を起こしていました。彼は有名な「兎の眼」に、ハンセン病がハエを媒介として伝染するという誤情報を載せていました。これは無知による差別なので仕方がない面もあります。しかしその後がいけませんでした。灰谷はハンセン病療養所の入園者からの指摘によりこの事実を知り、「兎の眼」のその部分の記述を削除しました。ところが灰谷はこの出来事を、先のハンセン病療養所の入園者が本の訂正の際に送った私信を公開することによって発表したのです。その手紙にはこのような記述がありました。

先生への自己へのあまりの厳しさと真摯な心に胸打たれて、私は一瞬呆然となる思いでした。そして一読者の申し出に対して、執筆に忙殺されている有名な先生が斯くも丁重なお返事を下さったことに大きな驚きと感動を禁ずることができませんでした。

 このような必要以上に自己を卑下し、灰谷を持ち上げた私信を公開することによって、灰谷は自身の品性の卑しさを露呈してしまいました。この事件が起きたのは1983年、そう昔のことではありません。重大な差別事件として記憶しておくべきでしょう。
 この本は児童文学の研究書として優れていますが、障害に対する考え方を問い直す本としても機能しています。児童文学に興味のある人だけでなく多くの人に読んでもらいたいです。