『さよならミイラ男』(福田隆浩)

家庭環境に恵まれないアキトは、勉強も遅れて学校でも疎外されています。学校に行きたくはないけど母親が知らない男を連れこんでいる家にもいたくないので、しかたなく学校で人気のない場所を探し誰にも会わず時を過ごそうとします。鍵がかかっていなかった教材室に入りこむと、そこに不気味な気配を感じました。よく見ると、まるでミイラ男のような黒ずんだ緑色をした半裸の人物の姿が目に入りました。アキトは怯えて教室に逃げますが、その後もたびたび教材室に出入りし、ミイラ男と過ごす時間を持ちます。
最悪家庭環境の描き方には現実性があります。このような母親が自力で更生するのは困難です。そんな母親の男が救世主になるようなドリームを期待するのも難しいでしょう。
良識側の大人の行動にもリアリティがあります。当然学校はアキトの窮境に気づいて組織的に対応しているであろうことがうかがえますし、児相の対応もまともです。物語を盛りあげるために学校や児相を無能に設定している作品も目立ちますが、この作品のように子どものために働いている大人はきちんと子どもを守る行動をするのだという安心感を与えてくれる作品も必要です。
一方で、子どもの世界には甘さもあるように感じられました。困難な環境にある男子には実は隠された絵の才能があって、親身に手助けしてくれる女子もいるというのは、ちょっと古典的すぎるような気もします。いや逆に、ハンディキャップを持つ子どもは特別な才能を持っていないと受け入れられることがないという認識なのであれば、それはあまりに酷です。
最悪な状況のなかで救いになるのがミイラ男であることが、この作品の一番の特色です。傷ついた人の心の支えになるのは光り輝く美しいものではなく、醜くグロテスクなものであることもあるということ。その暗い側面に向きあったことが、読者の子どもにとっても救いになりそうです。