- 作者: 内田麟太郎
- 出版社/メーカー: 架空社
- 発売日: 2006/07
- メディア: 単行本
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内田麟太郎は6歳の時に実母を亡くし、父親や継母との確執に悩まされ、家庭環境には恵まれていませんでした。家族への憎しみ、自身の自殺願望が率直な言葉で語られていて鬼気迫るものがありました。
一方で、41歳になって初めて記憶のない実母の写真を見、あまりに……で想像とかけ離れていたため「なんじゃ、こりゃ!」と叫んでしまった話や、高校時代の恋愛話など脱力のエピソードも披露されています。
脱力系でおもしろかったのは「ともだちや」の誕生秘話でした。ナンセンス一筋だったのに売れそうな話を書いてしまった内田麟太郎は、罪悪感のあまり本が売れないように売れなさそうな画家を起用しようとたくらみました。この人には自虐芸もあったのか。そこで指名したのが伊○秀男、ス○キコージ、井○洋介の三人。失礼にもほどがありますね。わたしも内田麟太郎と同じくこの三人は大好きです。結局彼の指名は編集者に却下され、画家は降矢ななに決まり大成功を収めました。
もっとも注目すべきは、彼が長新太との交流によって絵詞作家として覚醒していくエピソードでしょう。長新太の「絵本には絵本の文章があります」という言葉を受け、「絵本の文章は文学であってはならない」という考えに至り、内田麟太郎は絵詞作家を名乗るようになりました。彼の理念は巻末の「絵本・テキスト作法」で詳述されます。彼は長新太の「ちへいせんのみえるところ」を引き合いに出し論を展開していきます。
わたしもはじめて「ちへいせんのみえるところ」を読んだ時の衝撃を忘れることはできません。周知の通り、「ちへいせんのみえるところ」に出てくる言葉は「でました。」のみ。わたしは単純におもしろいと思うと同時に、これでいいのかというとまどいも感じました。たったこれだけの言葉にどんな意味を見いだせばいいのかわからなかったからです。
内田麟太郎はこの「でました。」を、「絵本の言葉の極北」であり、しかし「決して名文ではない」とします。そして導き出される結論は二つ。
名文よ、さようなら。
描写は絵に委ねよう。
わたしもいちおう名文信仰のようなものは持っているので、にわかにこの主張を受け入れることはできません。でも、絵本というメディアの特性を考えれば反論の余地はなさそうです。絵本の奥深さの一端に触れた思いです。