「ぼくらは「コウモリ穴」をぬけて」(広瀬寿子)

ぼくらは「コウモリ穴」をぬけて (あかね・新読み物シリーズ)

ぼくらは「コウモリ穴」をぬけて (あかね・新読み物シリーズ)

 上質の物語を楽しみたければ、死別をメインテーマにした児童文学は避けるのが賢明です。しかし何事にも例外はあるもので、この作品は偉大な例外です。
 小学3年生のアユムの家に、一歳年上のいとこのつーくんが居候として転がり込んできます。彼は母親を亡くしたばかりだったので、アユムはどう接したものか思いなやんでいましたが、つーくんが全然落ち込んでいるそぶりを見せないので拍子抜けしてしまいました。しかしアユムがつーくんをコウモリの住む洞窟に連れていったのをきっかけに彼の心は揺らぎはじめ、境界を越えると母親のいる世界にいけると思いこむようになってしまいます。本当につーくんは母親に会うことができるのか?
 つーくんに気を遣いながらも、相手が思うような反応をしないのでいらだってしまうアユムの心情が生々しいです。非当事者であるアユムの視点から死別という難しい問題に一歩引いたアプローチを見せています。
 ネタをバラしてしまうとつーくんとアユムは異界で母親と再会することになるのですが、ここで徹底して母親がボケ倒すことによって安いお涙ちょうだいドラマになってしまうことを回避しているのがこの作品の稀有な点です。つーくんは感極まって立ちつくしているので、ここでつっこみ役はアユムがこなしてくれないと困りますが、彼は心の中でしかつっこまないので母親のボケは止まりません。庭いじりをしていた母親は感激の場面であろうことかヘクソカズラがくさいなどという場違いな話題を振ります。

 ヘクソカズラ
 どうしてそうなるんだ。つーくんの気持ちも考えてください。おばさん、見せるならノウゼンカズラの方にして。(p101)

 まあ、なんやかんやで最後にはアユムがナイスフォローを入れてくれるんですが、読者はそこに至るまでにすっかり毒気を抜かれてしまうので、もはや物語は三文芝居にはなり得なくなっています。こうして適度な距離感を持って物語が展開されているので、しみじみとしたおかしさとかなしさが感じられる味わい深い作品に仕上がっています。死別をテーマにした児童文学は作者が感情に溺れきってしまうため、文学としての水準が低いものになりがちなのですが、本作はその罠に陥っていません。地味な本ながら傑作です。