「ふつうの学校③ 朝の読書はひかえめにの巻」(蘇部健一)

 大きな声では言えませんが、青い鳥文庫で今一番楽しみにしているシリーズだったりします。いつものように短編三作収録。ほかの青い鳥文庫ではなかなかお目にかかれない下品な世界を楽しめます。

朝の読書はひかえめに

 読書なんか何の役にも立たないと持論を展開し、朝読書の時間に子供達を遊ばせている稲妻先生。数々の暴言が飛び出します。

「たとえば、ある生徒が千ページ近い小説を最後まで読んで、もしそれがおもしろくもなんともなかったとしたら、どうなると思います?教師が生徒に地獄のようなつらい時間を押しつけた、つまり、生徒を拷問にかけたということになるんですよ。なにしろ最近は、内容は空っぽのくせに、やたらむだに長い小説が多いですからね。」
「もっとも最近は、読みやすい改訂版より、誤字、脱字の多い初版本を追い求めるバカな古本コレクターが多くて困りますがね。」
「いま事業やスポーツで成功している人間は、子供のころ、ろくすっぽ本なんて読んでいないでしょうからね。」
青い鳥文庫の「朝の読書おすすめガイド」をつかまえて)「ふんッ。こんな小説、おもしろいはずあるかッ。だれが、こんなガイド本、読んでやるもんか!」
「では、なぜ教師たちは、生徒に読書をそんなに押しつけたがるのか?それはつまり、教師なんてのはみんな、昔、友達がいなくて、家でひとりで本を読んでいたくらいやつばかりだからなんだ。」

 などなど。読書教育だけでなくて、いろんなものにかみついています。でも、この主張は小説というメディアで展開されているわけで、とすると何らかのメタメッセージがあるはず……、あると信じたい。ただおもしろいから言ってみただけなんてことはないはず。
 しかしいらん苦労をして男子生徒にエロ本を読ませる彼の情熱はどこから出てくるのだろうか……?

学校のトイレでウンコをする方法(と、稲妻先生のカンニング自由化案。)

 稲妻先生今度は「社会に出てからだって、成功するのは、まじめなやつじゃなくて、要領のいいやつだ。(中略)だから、おまえらも将来、口先だけで世の中を渡っていく、要領のいい人間になれ!」と主張し、テストでカンニングをしろと子供達に強制します。言っていることは決して間違いではないんですね。ルールの枠から外れた発想をしろという教育的意図に基づいたものなんだろうと善意で解釈しておきます。実際稲妻先生の裏をかこうとするこどもたちの活躍は目を瞠るものがありました。
 ちなみに稲妻先生が仕掛けた合法的なカンニング法ですが、わたしが過ごした小学校ではみんなやっていました。教師の方もそれは承知の上だったようで、成功したのは2,3回くらいしかなかったように記憶しています。
 ミステリ部分は隠蔽された過去のいじめ自殺事件を追うというもの。学校のトイレでウンコをするという男子にとって最大の危機が事件の発端というのがいかにもこのシリーズらしい。アキラくんが稲妻先生や六さんの手を借りず一人で立ち向かっていく展開が燃えます。

マモルとヨシヒコの恋の行方

 ○○をとるか○を取るかという男子にとって究極の選択がテーマになっています。それをいとも簡単に○を取ると言ってしまうアキラくんの悟りっぷりがまぶしすぎます。でも、こんな悟りきった男子の前ににそういう選択肢が現れることはめったにありません。その覚悟はおそらく無駄になってしまうでしょう。皮肉なものです。
 お話自体はO・ヘンリーの短編ばりの美談なんですけどね。稲妻先生とアキラくんがからむとどうしても下世話になってしまいます。彼らが本音で語る部分がこの作品の美点だともいえるのですが。

エピローグ

 アキラくんがナナちゃんの前で大恥をかくお約束のエピローグ。これはとうとうアキラくんにも春が来たと解釈していいのか?