「「ゲド戦記」の世界」(清水真砂子)

「ゲド戦記」の世界 (岩波ブックレット)

「ゲド戦記」の世界 (岩波ブックレット)

 岩波ブックレットNo.683。2006年6月に「紀伊国屋サザンセミナー」として行われた講演をもとに構成された本です。
 「ゲド戦記」はアメリカ文学の中でも屈指の重要な作品なので、フェミニズムをはじめ様々な視点から意味を語りたくなるのが人情です。しかし清水真砂子は「意味を語ることの危うさ」を感じ、「意味からこぼれ落ちるもの」の豊かさを訴えています。もちろんこの本ではゲド戦記に関する深い考察が展開されているのですが、そこであえて「意味からこぼれ落ちるもの」の重要性を強調しているところに清水真砂子の鋭敏な感性を感じました。
 翻訳の苦労話では、テナーの話し言葉に関する部分が興味深かったです。テナーは男の「知」と女の「生活」の両方をくぐり抜けているので、男の言葉でも女の言葉でもない第三の言葉を獲得しています。清水真砂子乙骨淑子をモデルとしてその言葉を模索しました。社会主義の言葉に違和感を持ち、生活をくぐり抜けた言葉を目指して児童文学を書いた乙骨淑子の人生はテナーの生きてきた道と似ていると清水真砂子は指摘しています。わずか51歳で亡くなってしまったためあまり多くの作品を残せなかった偉大な作家が、こういうかたちで影響を残していたとは、なんとも感慨深いものがあります。
 この時期に出た本なので、当然例の件についても触れられていました。まずはじめに自分はいっさいタッチしていないことと、ル=グウィンの要望はきっちり伝えたことを断って、責任の所在を明確にしているのはさすがに賢いです。
 全体的にユーモラスで抑制のきいた語りがなされているので、読み物としても充分楽しめます。しめくくりに長新太の「表現=うんち説」をもってくるセンスがいいです。