「黄泉の湯」(ふゆきたかし)

「黄泉の湯」(ふゆきたかし)1985年 佑学社

 また変な本を読んでしまいました。どこが変わっているって、セックスと死を露骨に描写しているところが珍しいです。「小学校5・6年生から」と書いてあるので間違いなく児童文学のはずです。以上のようなテーマがグロテスクかつ幻想的に描かれていて味わい深い創作民話になっていました。
 主人公は腕のいい猟師の青年源次郎です。ある日彼は大鹿を追っているうちに山奥に入り込んでしまいます。やがて大きな家に迷い込み、この世のものとは思えない美しい女のもてなしを受けます。ここで彼はある呪いを受けてしまいました。
 里に帰った彼はあぐりという気だての良い嫁をもらいます。しかしふたりの間にはなかなか子供ができませんでした。あぐりは彼女が親切にしていた地蔵の化身と思われる坊さんに子供ができるまじないを教えられ実行しますが、はげしいつわりの末出てきたのはひからびきった死骸でした。
 その後ふたりは何十年も一緒に暮らしましたが、不思議なことに源次郎だけ年をとらず、ふたりはやがて祖母と孫のようになってしまいます。不気味に思ったあぐりは離縁したいと申し出、源次郎は仕方なく受け入れます。
 つまり源次郎は、不老不死の呪いと生殖を不可能にする呪いを受けていたのです。性を持つことによって不死であることを捨ててしまった生物の歴史を考え合わせれば、この呪いは整合性を持ったものであるといえます。
 ひとつの場所にとどまっていると怪しまれるので、源次郎は流浪の旅に出ることを余儀なくされます。しかし皮肉なことに、源次郎は若くてたくましい上に見かけ上の年齢不相応の落ち着きを持っているので、どこに行っても気に入られてしまい、婿入りを迫られてしまいます。
 以下結末に触れるので反転させておきます。


 さて、人間と深く関わらないと決意したはずなのに、源次郎は鉄砲の腕を使って庄屋の娘を助けてしまい、庄屋に気に入られ婿になるように頼まれてしまいます。娘のりき(11才)も源次郎がいたく気に入ります。源次郎は縁談を断るためにりきに自分の境遇を告白します。するとりきは役小角をつかまえて呪いを解く方法を聞き出します。その方法はこうです。

「この山から西のほうへ峰を三つこしたところに、湯がわき出ておる。いかなるどくも妖気も消しさる神泉じゃ。おまえと源次郎は、身につけておる物をことごとく取り去って、抱きおうて湯につかるのじゃ。」
「何が起ころうとも、二百まで数え続け、そして二十一まで数えもどるまで、源次郎を放してはならぬよいな。」

 りきの年を考えるとものすごくいけないことをしているような感じもしますが、ふたりはこの方法を実行しました。湯の中でりきが数を数えると、源次郎はどんどん老けていきました。百を超えると源次郎の姿は気味の悪い死体になり、百九十九まで数えると源次郎の首が折れて、りきの胸をかみました。役小角の目算では、いったん本来の年である二百まで源次郎に年をとらせ、そこから数えもどらせることで二十一まで若返らせようということだったのでしょう。しかし結局愛の力が源次郎を救うことはなく、百九十九まで数えたところでりきは逃げ出してしまいます。そして女の笑い声が地の底から響いて物語は終わります。
 この話は源次郎が殺生をしたから呪われたという因果応報譚になっているわけでのないので、女の悪意は純粋なものとなっています。それだけになんともいえない怖さと後味の悪さが残ります。