「ナイトメア叢書7 闇のファンタジー」(一柳廣孝・吉田司雄/編)

闇のファンタジー (ナイトメア叢書)

闇のファンタジー (ナイトメア叢書)

ナイトメア叢書の第7巻。児童文学関係で興味深い論文がいくつか収録されていたので、こちらで紹介します。

継承と解放、そして残された課題――一九八〇年代以降児童文学の長編ファンタジーに見る「闇」(佐藤宗子

現代児童文学の起点とされる1959年からの児童文学ファンタジーの状況を、「闇」をテーマに概観しています。「闇」をヨコの「闇」(社会や共同体)、タテの「闇」(時間・歴史)、内なる「闇」(内面)の三つに分類し整理しているので、論点が非常にわかりやすくなってます。
興味深いのは最後の問題提起。最近の「東アジア」を思わせる地域が舞台に設定され、国際関係の緊張が物語の主軸となっているファンタジー作品の台頭から、「闇」に対する関心の変化を指摘しています。

つまりここでは、かつて上野瞭が一貫して追及し続けて、また芝田勝茂が人々の眼をそらさせる巧妙さを問題にした「国家」そのものがはらむ「闇」はもはや取り上げられない。「国家」はすでに存在するものであり、むしろ複数の「国家」が存在する国際関係こそが、対処すべき問題として捉えられている。(中略)
原理や根本的な存在意義を突き詰めるのではなく、現在の輻輳した状況をいったん受け入れたうえで、いかに調整を図って共存していけるのかを追求すること、それが二十一世紀の現在を生きる読者に向けての役割なのだろう。白日の下にさらされた構図でのファンタジーともとれるし、あるいは「関係性」のなかにこそ、「闇」が存在するという理解をすべきなのだろうか。(p66)

以下にこの論文が取り上げている主な作品をメモしておきます。

「夜の子どもたち」芝田勝茂
「空色勾玉」荻原規子
「闇の守り人」上橋菜穂子
「えんの松原」伊藤遊

「語り」の問題性とその向こう側にあるもの――天沢退二郎における二元論の問題(井上乃武)

天沢作品を語る際には、「光車よ、まわれ」の作者覚え書きに記されている「二元論」の問題が引き合いに出されることが多いです。井上論文では、善悪二元論ではなく作品世界内の「現実」と「ファンタジー」の二元論を問題として設定しています。そして、「オレンジ党」シリーズが巻を追うごとに「現実」と「虚構」が融解して二元論が成立しなくなっていくさまを検証し、それがテクスト構造の統合にまで影響を及ぼしていることを指摘しています。