「光年のかなたデヴォ」(長谷川集平)

光年のかなたデヴォ (童話パラダイス)

光年のかなたデヴォ (童話パラダイス)

「記憶」や「情報」の「継承」や「伝達」。長谷川集平は、こういったテーマに強い問題意識を持っている作家なのではないかと最近思うようになりました。
たとえば「見えない絵本」。長崎という特異な歴史を持つ街で、一時的に視力を失った少年に叔父が存在しない絵本を読み聞かせるという異様な情報伝達が描かれています。
「パイルドライバー」の情報の過剰さも気になります。話の本筋はほほえましい初恋なのですが、背景に戦車がうろついているのはなぜなのか。今回はそんな疑問を解決するヒントとして、これまた不可解なSF童話「光年のかなたデヴォ」の構造をメモしておきます。特に結論はないことをお断りしておきます。
作品世界ではタイムマシンが実用化されていて、観光用に利用されていました。しかしタイムマシンはすでに飽きられ始めていました。その代わりに人気を博しているのが空間合成機という装置。これは過去や未来だけでなく、架空の世界にも行くことができるということで、タイムマシンのお株を奪っていました。
さて、物語の終盤に主人公のシラははタイムマシンの欠陥に気づくことになります。それは、世界のタイムマシンは、まだ歴史学者が解明していない過去にはいけないということです。人類の知の及ぶ範囲までしかカバーできないので、タイムマシンのみせる世界は本質的に空間合成機が見せる幻と変わらない人工的なものだと看破してしまいます。
タイムマシンと並ぶこの作品の問題点は、「子どもの音楽家」の存在です。この世界には脳をスキャンして音楽を生み出す装置がありました。大人より子供の脳の生み出す音楽の方が澄んでいるということで、子供の音楽家が人気を得ていました。大人の音楽家の方は、技術を習得しているというアドバンテージが装置によって無価値になってしまったため、失業の危機にさらされていました。
主人公のシラも「子どもの音楽家」の一人でした。しかし彼も、新たな世代の脅威にさらされることになります。子供よりも赤ん坊の方がいい音楽をスキャンできるという方向に世の中が進んでいったのです。シラは、歳をとること、つまり知識を積み重ねていくことによって得るものと失うものについて考察します。