「戦時児童文学論」(山中恒)

戦時児童文学論―小川未明、浜田広介、坪田譲治に沿って

戦時児童文学論―小川未明、浜田広介、坪田譲治に沿って

イムリーといってしまうと語弊がありますが、都条例や表現規制に関心のある人には必読の本が出ました。山中恒の「戦時児童文学論」は、膨大な資料を検証して戦時中の児童文学について論評した本です。
本書を読むと、なぜ表現の自由と平和が守られなければならないのかがよくわかります。それは、このふたつがなくなると本がつまらなくなってしまうからです。
本書で紹介されている国威昂揚や思想善導を目的として作られた児童文学は、ことごとくつまらなそうに見えます。小川未明ほどの作家のものであっても、戦争協力のために書いた作品には魅力を見出すことはできません。現代の視点で戦争を断罪しているからそう見えるのではありません。プロパガンダと文学の相性が悪いからつまらなくなってしまうのです。
冷静で時にはユーモアを交えたつっこみが戦時児童文学のつまらなさをあぶり出しているところが、本書の最大の成果です。
ただし、文学をつまらなくするのは戦争だけではありません。山中恒はあとがきで「時代的気分」に対する警戒を呼びかけています。現在の「時代的気分」の正体を見極めることが、表現を守るための第一歩になるのかもしれません。

かつて、読書感想文コンクールの低学年向け課題図書になれば、家一軒分の印税が入るといわれた時代があった。その時、学校図書館協議会が「今年のテーマはエコだ」といったら、どの児童図書出版社も課題図書の指定をねらって、エコをテーマにした作品を出し、平和だといったら、平和を主題にしたものを出し、作家たちもそれに励んだ。それを国家規模で実行したのが、戦時児童文学であり、「時代的気分」である。それと同じように「時代的気分」が、再び私たちに覆い被さる事態が恐ろしいのである。
(あとがきより)