「クローディアの秘密」(カニグズバーグ)秘密=沈黙?

クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))
クローディアの秘密 (岩波少年文庫 (050))」(カニグズバーグ
 クローディアは弟とともに家出をして、メトロポリタン美術館に住みつきます。そこの展示品をめぐる秘密に気づいてしまい……。カニグズバーグらしい理性的で計画性のある主人公が魅力的な名作です。
 それで、なぜ今更この作品を取り上げたかというと、昨日の日記で取り上げたひこ・田中の「大人のための児童文学講座」に、この作品のおもしろい読み方が書いてあったからです。
 「クローディアの秘密」といえば、典型的な成長物語だというのが教科書的な解釈の仕方でした。家出をして秘密を手にすることによって、子供が自立するというわけです。ところがひこ・田中は、秘密を持つということには沈黙を強いられるという面もあると指摘しています。クローディアの家出の理由は、女の子だから家事を手伝わされることに嫌気がさしたからでした。それなのに最終的には沈黙を強いられてしまう、つまり当時の女性が期待されていた(もしかしたら今でも期待されている)役割の枠に入ってしまったということになります。そう考えると、クローディアの導き手であるフランクワイラー夫人が同性の女であることが皮肉に見えてきます。
 いわれてみれば確かに。「クローディアの秘密」って「クローディアだけの秘密」では全然ないんですよね。ある仲間と秘密を共有すると、かなりの不自由も伴ってきます。でも、この方向でも成長といえないことはありません。成長というのは明るくて自由なイメージのものでは全然なくて、結局は現実との妥協の産物だったりします。すでに児童文学の世界では、「子供は成長するもの」という児童観が当然の前提であった時代は終わっています。「クローディアの秘密」ももはや古い作品になってしまったのかもしれません。