「犬の学校」(佐野美津男)

犬の学校 (創作子どもSF全集 4)

犬の学校 (創作子どもSF全集 4)

 あけましておめでとうございます。戌年の年賀の挨拶がわりと言うことで、2006年一発目はかわいいわんちゃんの登場する児童文学を紹介します(大ウソ)。
 国土社の創作子どもSF全集第4巻、佐野美津男中村宏のコンビによるSF作品です。
 志津子おばさんから犬の子供をもらった宏幸。ジャピロと名付けてかわいがっていましたが、空き地で「愛犬学校」の先生に勧誘され、預けてしまいます。なんでも「愛犬学校」は科学的な訓練をしていて、授業料は飼い主の小遣いの半分でいいとのこと。しばらくしてジャピロにあいたくなった宏幸はひとり愛犬学校を訪ね、同様に愛犬学校に犬を預けている後藤くんという少年と出会います。後藤くんによると愛犬学校は飼い主と犬との面会を認めないとのこと。二人はこっそり愛犬学校に忍び込み、信じられない光景を見ます。愛犬学校では犬を機械にかけて人間の姿に変身させ、人類を倒すための教育をしていたのです。さらにエンディングマシオンという機械の開発が進められていました。この機械は人間を宇宙空間におくりだす恐ろしい兵器でした。宏幸たちはなんとか愛犬学校から逃げ出しますが、犬の侵略の手は日常にも忍び寄ってきました。
 作者はあとがきで「内からの侵略」という言葉をつかっています。しかし、犬の発した「人間はいくじがないのです。いじめられた人間は、せめてふくしゅうしないまでも、ふくしゅうをしてやるぞというぐらいの、ちゃんとしたきもちはみせるべきでした。たとえば、おかねのない人は、おかねのある人にむかって」というようなセリフを考えあわせると、侵略というより革命という言葉をつかった方がふさわしい思います。犬というのはあくまで「犬のように忠実」な虐げられた人間のメタファーなのでしょう。そう考えると、革命を成し遂げるためにまず教育を施そうという犬の学校の方針は合理的です。
 エンディングマシオンによって宇宙空間にとばさた宏幸が「おとうさーん、おかあさーん、昌代、早くおいでよオ」と叫ぶラストが非常に不可解です。誰もが思うことでしょうが、「そこ、宇宙空間じゃないじゃん」というつっこみを入れたくなります。本当に宇宙空間にいるのならば叫ぶ余裕もなく死んでしまうでしょう。裏表紙に描かれた雲の上を漂っている人間のイラストがエンディングマシオンの結果であるとするならば、そこは明らかに宇宙空間ではありません。犬の侵略を革命ととるならば、この不可解さにもひとつの解答を与えられそうです。わたしは宇宙空間とは周辺であると解釈しました。つまり、世界の中心に君臨していた旧支配者である人間が、革命によって宇宙空間という周辺に追いやられてしまったということです。宏幸の不可解なセリフも、すでに敗北が確定的になった人類はもはや周辺で生きるしかないということを悟ってのものだと考えるならば納得できます。
 それにしてもエンディングマシオンという響きのまがまがしいこと。こんな恐ろしい復讐手段を考えた佐野美津男の想像力の奔放さにはおそれいります。中村宏もストレートに怖がらせるイラストを描いています。直接的な怖さなら「ピカピカのぎろちょん」よりこっちの方が上かもしれません。