「ファンタージエン 愚者の王」(ターニャ・キンケル)

ファンタージエン 愚者の王

ファンタージエン 愚者の王

(ネタバレ配慮なし)
 太極拳って明代にできたんじゃなかったっけ。李白と同時代の人間が太極拳を知っているのはおかしいと思うんですが、まあいいか。
 「はてしない物語」の二次創作シリーズの第二弾。主人公はファンタージエンの機織り村シリドムの娘レス。彼女は日頃から機織りになることが決められている自分の境遇に疑問を持っていました。ファンタージエンでは虚無の脅威が広がっていますが、村の大人たちは何もしようとしません。そこでレスは、猫一匹を道連れにファンタージエンを救う方法を探すため旅立ちます。
 要するにレスの旅は、アトレーユの旅を模しているわけです。アトレーユの他にも救い主を導くために冒険していた者がいたかもしれなという発想からこの物語は出発しています。道連れの猫はグモルクのポジション、幸いの竜がいない代わりに魔法の絨毯を手に入れるという具合です。その他に旅の仲間として中国人のイェン・タオツーを加えたのがターニャ・キンケル独自の工夫です。中国人ということはファンタージエンの住人ではないわけです。彼の姿は救い主たるバスチアンの末路を暗示しています。ラルフ・イーザウの「秘密の図書館」と同様に、二次創作としての目の付け所はよいです。ただしこれもイーザウのと同様に、話が面白くないんだわ、これが。
 ターニャ・キンケルはこの作品をものすにあたって、意図的に主要登場人物を女性でかためたそうです。そして少女を主人公にすることによって、ヒロイズムを払拭しようとしたそうです。閉塞的な運命にあらがう少女というレスの設定を見れば、少女であることの困難をテーマにしているように思います。でも、そのもくろみが成功しているか疑問です。
 レスは魔法の絨毯を手に入れるための試練として、自ら小指をつめます。これもギャグにしか思えませんが、そこはまあよいです。魔法の絨毯を手に入れたレスは、意図せずに絨毯の持ち主のレオン人を何人か焼き殺してしまいます。そのためレスは旅の間中レオン人につけねらわれることになります。その後もレスは何かにつけてやらかしてしまい、世界を救うために行動しているはずなのにどんどん敵を増やしていきます。これはヒロイズムの払拭とか少女の困難の問題じゃないでしょう。これではパターン化されたコメディです。ならばコメディとして成功しているのならいいのですが、文体がそうではないのですべりまくっています。結局作者が何を言いたいんだかわからない。
 それでも終盤になって「はてしない物語」とのリンクが明らかになってくると、それなりには盛り上がります。カンパニーとか思わせぶりな単語を出してそのまま放り出すのはやめてほしいんだが。レスがバスチアンに説教をかますラストは、まあそういうのもありじゃないかと思いました。でも、やっぱりあくまで二次創作の域を超えていないんですね。「はてしない物語」が面白いから、それにくっついていればそれなりには面白くなる。でもそんなのを読んでも、結局は「はてしない物語」の偉大さを確認するだけの意味しかありません。そのためだけに400ページを超える本を読むのは、ちょっと時間がもったいないです。いい加減このシリーズは見限るか。