「教室の祭り」(草野たき)

教室の祭り (わくわく読み物コレクション)

教室の祭り (わくわく読み物コレクション)

 素っ気のないタイトルと北見葉胡による表紙から嫌な予感を持たされてしまいます。思った通り怖いお話でした。いや、お話ではなくて、この作品に描かれているたぐいの「祭り」は現実に数限りない教室で行われているはずです。われわれが生きているこの世界がいかに不気味で不条理であるかを暴き立てているからこそこの作品は怖いのです。
 主人公は5年生にあがったばかりの澄子。彼女はおとなしいクラスメートの直子と仲よくしていました。ところが5年生になってから通い始めた塾で澄子はカコら新しい友人を得ます。しだいに澄子は直子と疎遠になっていき、やがて直子は学校に来なくなってしまいます。カコたちは直子を迎えに行こうと集団で家に押しかけようと計画します。最初の訪問では家には入れませんでしたが、次はクラスの女子全員を動員して無理矢理家に上がり込みました。
 翌日登校した直子は、クラスの女子から本当にうれしそうな顔で白々しい言葉を投げかけられます。

「今日は、直子の記念日なんだから」
「そうそう、今日は特別」
「みんなに、甘えちゃいなさいよ」
「久々に来て、慣れないだろうけどさ」
「私たち、うれしいんだよ、直子が来てくれて、ほんとよろこんでるんだから」

 この出来事を直子は、「まるで教室の祭りだったよね」とふりかえります。
 相手の気持ちを全く考えずに不登校のクラスメイトを迎えにいくというイベントに興じる女子集団の異様さには戦慄させられてしまいます。
 背後には格差社会に対する子供の絶望が感じられます。将来に希望が持てないから刹那的な生き方しかできず、日々祭りの高揚感に身をまかせている少女たちは哀れでもあり、不気味でもあります。しかし澄子はそんなカコたちに魅力を感じてしまいます。

自分の未来をあきらめているわりに、明るいふたりが不思議だった。
夢なんてない。特別な才能もない、キレーじゃないし、勉強ができるわけでもない。でもべつにそれでいい。だって、しょうがないじゃんって感じ。
その発想は、澄子にとって新鮮だった。
私だって、フツーのお母さんから生まれた子どもだもん。すてきになれないのは、当然。

 一方で、勉強ができる勝ち組に属する間島さんは、直子を迎える祭りに参加した理由についてこう説明しました。

「見学に来ただけ」
「そう、みんなで会いにいって、直子がどんな反応するんだろうと思って、見に来ただけ」

 ひどい発言ですが、これでも間島さんはこの教室の中ではまともな感性を持っている子なのです。
 終盤澄子はカコらの集団に埋没することをやめ、直子と仲直りをすることを選び取ります。そして選び取った結果起こったことは、たった10ページの最終章でそっけなく語られます。

それから、澄子がいじめられるようになるのに、そう時間はかからなかった。

 自ら個であることを選び取ったものが集団から攻撃されるのはごく当たり前の現象だとでもいうように淡々と語られています。しかしこれも現実です。本作はこの国の病巣を実に的確につついています。
 飾ることなく個人と集団の確執の現実を描いてみせた力作です。草野たきはこの作品でちょっと化けたかもしれません。