「花をくわえてどこへゆく」(森忠明)

花をくわえてどこへゆく (文研じゅべにーる)

花をくわえてどこへゆく (文研じゅべにーる)

 この作品の主人公、6年3組の学級委員森壮平は児童文学史上最強クラスのダメ人間です。彼は二つの理由から世をはかなみ、学校に通うのを止め隠遁生活にはいることになります。
 ひとつ目の理由は飼い犬のテツに捨てられたこと、もうひとつは好きだった女の先生が婚約してしまったことでした。

 ファインが、美しい、という意味なら、五年四組担任の岸先生の足は、とびきりのファインだ。
 美人ぶってよそよそしく、えこひいきがはげしいといううわさもあるが、岸先生の性格がどうだろうと、あの美しい足はぼくの気に入りだった。
 しかし、この四月、岸先生は、ぼくらの担任、矢崎耕介先生と結婚の約束をしてしまった。
 デパートのマネキン人形よりも形の良いあの足が、矢崎先生のものになってしまうのかと思うと、ほかの生徒たちのように、゙先生おめでとう!"なんて、素直に祝福できなかった。
 これから先、良い成績をとり続けて、良い大学を出て、どれほどえらくなっても、岸先生の足をぼくのものにすることはできないのだ。(中略)
 これから先、どれほどまじめに生きていっても、好きなものを手に入れることができないのだとしたら、この世の中は、努力のかいがない、ばかばかしい場所だ。(16ページ)

 彼の美しい足に対する執着はそれはすさまじく、以下のような表現を見るとその執着が性欲に直結していることがわかります。

 夢の中で見た岸先生の、真じゅ色に輝く足を思い出していたら、おしっこがしたくなった。(94ページ)

 おのれの性欲の成就を阻害されたことで挫折感にうち悩む小学生なぞ、児童文学でなかなか見られるものではありません。
 さて、挫折を経験した彼は学校を休学するために両親に談判します。

 心が、だるいんだ。すごく。……まとまった時間、学校休んでから、出直したいと思う。(25ページ)

 こんなセリフから切り出し、拒絶されるとはさみでのどを突くと脅します。もちろん親がこんな突拍子もない要求を簡単に許すはずがありません。許しを得られなかった森少年は府中の祖父母を頼って家出をします。祖父は森少年にお金を渡し、ひとりで甲府の温泉地で療養するようにすすめました。まったく贅沢な小学生です。
 温泉地でも彼は生きる意味を見いだせないことにうだうだ悩み、無為な日々を過ごします。

四千四百七十八日も生きてきたのに、これから何をはげみにして生きてゆけばいいのかわからないのだから、大ばかだ。(125ページ)

 物語のラストで壮平をかわいがってくれた祖父が亡くなりますが、その出来事も彼の憂鬱を深めるだけでした。彼はおじいちゃんと同じ年まで、あと二万日生きたところで本当に欲しいものは手に入れられないという絶望にうちひしがれます。
 森壮平少年はイケメンで(本人がそう思っているだけかもしれないが)勉強ができて裕福な太宰系のダメ人間なので、共感できるポイントは少ないです。しかし恵まれているだけに、彼の絶望はより純粋で切実なものになっています。
 生きる意味を見いだせない森少年は、自分はこの世界で異邦人として生きていくしかないという結論に達せざるを得ませんでした。

――もしかすると、この森壮平は、この地球という星に、すどまりをするために生まれてきた生きものなのかもしれない。
 勉強にも、遊びにも、むきになれなくなって、寝流れている男。
 寝るためにしか地球を使わない人間。
 すどまり、とか、すどおり、とか、すねかじり、とか……、すのつくことばは、なぜ、なんとなく悲しいのだろう――(166ページ)