「たそかれ」(朽木祥)

たそかれ 不知の物語 (福音館創作童話シリーズ)

たそかれ 不知の物語 (福音館創作童話シリーズ)

 「かはたれ」の続編です。「かはたれ」は児童文芸新人賞、児童文学者協会新人賞をダブル受賞し、朽木祥はいまや業界の期待を一身に背負った大型新人という扱いになっています。これはいかがなものかと思います。
 朽木祥は描写力と言語センスのみを見れば十年に一人の逸材といえましょう。「かわたれ」で披露された「やっぱ、河童……」というだじゃれには戦慄させられました。しかしこの人はせっかくの自分のセンスを自覚しておらず、「心の宝石」うんぬんといった陳腐な言葉を不用意に使ってしまっています。この欠点を克服すればすぐに第一線で活躍できる作家になれるはずです。
 もうひとつ「かはたれ」には致命的な欠陥がありました。物語が主人公の八寸を忘れ去ってしまっていることです。麻を癒やすことに興味が移ってしまい、八寸の修行、八寸の家族のことなど語るべきことが充分語られないまま終わってしまっています。物語としては破綻しているといっても言い過ぎではありません。朽木祥の才能に期待したい気持ちは理解できますが、それでもこれに新人賞を出すのには手放しで賛成はできません。
 前置きが長くなりましたが、「たそかれ」の話に入ります。「かはたれ」から4年後、プールで一人で暮らしている河童の不知を連れ戻すために、八寸は再び人間の世界に遣わされます。このシリーズの魅力はなんといっても八寸の愛らしさでしょう。4年の歳月がたってもまったく変わらない八寸の無邪気な振る舞いにはなごませてもらいました。続編を書くならはずせない麻との再会もしっかり感動的に描かれていました。
 卓越したセンスを誇るだじゃれも健在でした。「α、β、κのカッパー!」。すばらしいです。わたしはこのセンスだけで朽木祥の才能を疑いません。
 しかしまあ肝心のお話のほうが……今度はいきなり戦争ですか。またお説教が始まってしまいました。そしてまた、せっかくの才能を無駄遣いして安易な言葉の使い方をしてしまっています。「心の扉をノック」とか、お願いだからそんな安い言葉を使わないでください。チープな言葉を使う癖と説教臭さを捨てなければ朽木祥は三文作家で終わってしまいます。それではあまりにもったいなさすぎます。
 一番の欠点は「かはたれ」と同じ。八寸の存在を忘れ去っていることです。不知を説得する役割もいつの間にか麻に移ってしまい、八寸はときどきおばかな言動をして場をなごませるだけの存在におとしめられています。これでは八寸が報われません。
 八寸は無邪気で無垢でかわいらしいです。でもそれだけでは、この二つの物語が八寸にとってなんだったのかが全くわかりません(そもそも彼の修行の成果はなんだったのかがわからない)。もしかすると河童がゆるやかに年をとるという設定は、八寸を幼くかわいらしいまま停滞させてしまうための装置なのでしょうか。だとすればあまりに八寸が不憫です。残念ながら評価は前と同じ、これが八寸の物語だとすれば、物語は破綻しています。せっかく生み出した魅力ある主人公を大切にしてもらいたかったです。