「物語が生きる力を育てる」(脇明子)

物語が生きる力を育てる

物語が生きる力を育てる

 脇明子っていつからダメな俗流若者論の人になってしまったのでしょうか。テレビ、ゲーム、インターネット、携帯電話といった新しいメディアをたいした根拠もなく批判し、それらになじんでいる子供を劣った人間であるかのように罵倒したあとがきを読んだだけで頭が痛くなってしまいました。この本では彼女の迷走っぷりがさらに進化しています。いままで読書を推進する論陣を張っていたにもかかわらず、読書もゲームと同じく自分が批判する仮想体験であることに気づいてしまい、とうとう読書も危険であるという結論に達してしまいました。ある意味正しいけれど根本のところで間違っています。

いま私が、あらためて考えてみる必要を感じているのは、本もまたメディアのひとつではないのか、ということです。読書はいいことであるとされていますが、子どもにぜひとも必要なのが人間関係の体験であり、五感で味わう体験であるとすると、想像力で作った仮想体験に読者を誘いこむ本は、アニメやゲーム、ネットのように強力でないにしても、やはり子どもにとって危険な要素をはらむものでないとは言い切れません。(p11)

 さすがにこれではいままでの自分の業績が否定されてしまうので、苦し紛れにいい本悪い本、いい読み方悪い読み方の区別をつくって自分の立場を守っています。
 脇明子の弱点は、新しいメディアについてなにも知らないまま批判しているところです。たとえば三人兄弟の末っ子が成功するというパターンの昔話について解説している部分。彼女は同じパターンの繰り返しの中で昔話の聞き手が経験を積み賢明になっていくため、最後に試練に挑む末っ子が成功するのだという説を打ち立てました。ループする物語の中で経験のみが蓄積される。これはまさにゲーム的リアリズムのことではありませんか。彼女はゲームを批判する立場であるはずなのに、ゲームと似た特性を持つことを論拠に昔話を礼賛するという愚を犯してしまいました。
 それにしてもかわいそうなのは彼女に指導されている学生です。脇明子は今の若者が歪んでいるという自説を補強するために、喜々として学生を貶める発言をしています。高い授業料を払ってこんな扱いを受けるのではたまったものではありません。