「人柱志願」(野火晃)

人柱志願

人柱志願

  野火晃の短編集です。小学校高学年向けと銘打たれていますが、最初の話は死期の近付いた老人が自分史を書く話、二番目の話は宝くじに運命を狂わされる夫婦の話と、人生の悲哀を感じさせる大変渋い短編集になっています。
 なかでも表題作が飛び抜けておもしろかったです。まずタイトルが秀逸です。「人柱」という危険な言葉と「志願」という言葉のアンバランスさ。人柱に志願するような奇特な人間がいるのだろうかと興味をそそられるではありませんか。
 とある村で、堤防を造るために人柱を立てようという計画が持ち上がりました。しかし当然のことながら人柱の人選は難航し、結局偶然に任せて村の関所を最初に通った人物を人柱にすることになりました。運悪く通りかかったのが画描きの父娘で、父親が無理矢理人柱に仕立て上げられてしまいます。ところが次に関所を通った三文詩人の青年がこの話を聞きつけ、自分が画描きの父親の代わりに人柱になりたいと思いがけない申し出をします。青年の言い分はこうです。

「でもね、運命を自分の手で作り変えるなんて、ゆかいじゃないですか。ぼくより、たまたま早くこの関所に着いたっていう、その人の運命を、ぼく自信の意志で置き替えてあげる……つまり、ぼくが、その人の運命を自由にする……神さまの役割をするわけですよ。いいなあ!おもしろいと思うよな。そして、じっさいの話、神さまなら、生きるも死ぬもないもの」(p196)

「詩人は、昔から、神さまの代理人のはずなんですよ。ですから、それこそ、ぼくの役目なんですよね。そして、そうなれば、ぼくはもう三文詩人じゃない。偉大な詩人の一人だ」(p197)

 奇妙な論理ですが、生きることに倦んでいて失うものがなにもない若者だからこそできる思い上がった考え方が愉快です。この出来事をきっかけに、画描きの娘は青年への感謝の気持ちを恋だと錯覚してしまい、ふたりは恋仲になります。皮肉なことに、恋人という失うものができてしまった青年は命が惜しくなってしまいます。父親はふたりを不憫に思い、当初の予定通り自分が人柱になろうと決意します。結果ふたりは結婚しますが、夫婦仲はうまくいきませんでした。娘は自分が好きだったのは「生きているこの人」ではなく「死んで行くあの人」であったことに気付き、青年を憎みます。青年は青年で、生きながらえてしまったために自分は偉大な詩人になれなかったのだと、父親と娘を逆恨みします。
 なんともグダグダな展開で、スマートな美談を期待する人には肩すかしになってしまうのですが、グダグダでみっともないところに苦い味わいがあります。すべてが行き違ってうまくいかない地獄の喜劇といえましょう。