「世にも不幸なできごと13 終わり」(レモニー・スニケット)

終わり (世にも不幸なできごと 13)

終わり (世にも不幸なできごと 13)

「両親はわたしたちを世界の悪から守りたかったんじゃない。悪に直面しても、生きのびてもらいたかったのよ」(p249〜p250)

 「世にも不幸なできごと」がとうとう完結しました。一巻が出たときからこれは歴史に残るシリーズになるだろうとの予感は持っていましたが、ここまで壮大な話になるとまでは予想できませんでした。犯罪と愚行と不幸に満ち満ちたこの「世にも不幸なできごとシリーズ」とはまさに人生そのものであり、そして人類の歴史そのものだったのです。
 「ホテル大団円」の恐ろしい悪夢の後、宿敵オラフとボートで漂流することになったボードレール姉弟妹は、孤島に漂着します。その島は文明から隔絶した安全な島で、まるで楽園のようにみえました。島には奇妙なルールがいくつかありました。ココナッツ・コーディアルとよばれる激甘な飲み物を水代わりに飲むこと。島に漂着した文明の利器を羊に引かせて森林公園に捨てること。このやり方に疑問を持つ島民もいましたが、世話役のイシュマエルが思いやりによって島を支配していたので表立って逆らうことはありませんでした。
 というわけで最終巻のテーマはcordial(思いやり)です。思いやりに包まれた島の正体は、人々に沈黙を強いるディストピアでした。もうひとつのcordial、ココナッツ・コーディアルの秘密もまたえげつないもので、驚かせてくれました。
 イシュマエルは文明や知識から人々を遠ざけることで安全を守ろうとしていましたが、その思想はボードレール姉弟妹に否定されます。島には彼が隠した巨大な図書館がありました。図書館とは人類の英知の象徴、知恵の実に他なりません。島にはおあつらえ向きにリンゴの木もありました。そしてなつかしいモンティおじさんの「噛まれたらおだぶつの毒蛇」まで登場します。これだけの道具がそろったら向かう方向はひとつしかありません。最終巻のもうひとつのテーマ、そして「世にも不幸なできごとシリーズ」全体を貫いていたテーマは楽園追放だったのです。
 思えばそもそもの発端、塩からビーチで両親の訃報を知ったできごとは、ボードレール姉弟妹にとって両親に守られた楽園からの追放でした。最終巻では、ボードレール姉弟妹(ともうひとりの人物)はこの島、偽物の楽園から再度立ち去ることになります。しかしこの二度の楽園追放劇には大きな違いがあります。一回目は強制的な楽園追放でしたが、二度目は自らの意志で楽園から出て行くことを選び取ったのです。
 「世にも不幸なできごとシリーズ」は、この世界を悪意に満ち満ちた絶望的な世界と認識しながらも、それでも世界に立ち向かって生きのびていこうとする希望の物語でした。なぜボードレール姉弟妹は希望を失わないですんだのでしょうか。ひとつだけはっきりしているのは、彼らのそばにはいつも図書館があったということです。人類が積み上げていった知識が武器になることを信じていたから彼らは生きのびることができたのです。もちろんほかにも彼らを支えた希望はあるはずですが、それはそれぞれの読者の解釈にゆだねるべきでしょう。
 それにしてもこれはよく作り込まれたシリーズでした。いくつかの謎は投げっぱなしのままですが、それすら作者の意図のうちです。なにしろ作中で幼児に「まくがふぃん」と叫ばせているのだから手が込んでいます。V・F・Dも砂糖壺も最初からマクガフィンに過ぎなかったのです。でもすべてを投げっぱなしにしているわけではなく、感動的なフィナーレを迎えるのに必要最低限の情報は公開しています。謎はマクガフィンとして利用されているだけではありません。謎を残すことで「世にも不幸なできごとシリーズ」を終わらない物語に仕立て上げることこそが作者の真の目的でした。これだけのたくらみを持つ作品ですから、シリーズ全体の構造を詳細に分析したら面白くなるはずなのですが、余力がないので今回はこのへんで終わります。しつこいようですが最後にもう一度だけ、「世にも不幸なできごと」は歴史に残る大傑作だということを確認しておきます。