「星の砦」新旧比較

星の砦 (講談社青い鳥文庫)

星の砦 (講談社青い鳥文庫)

星の砦 (ファンタジーの冒険)

星の砦 (ファンタジーの冒険)

 「星の砦」理論社版と青い鳥文庫版の比較を行います。理論社版1993年10月初版と青い鳥文庫版2009年4月初版を使用します。なお、青い鳥文庫版発売後に書いた感想はこちらです。
 まずは細かい点から。改行を詰めたり、「だった」を「た」に修正するなど、全体的にコンパクトにしようとする修正点が目立ちます。一方で強調しようとしている箇所は新たに改行を加えているようです。会話文のカギ括弧の最終部分は、理論社版では句点が付いていませんでしたが、青い鳥文庫版では句点が追加されています。これは青い鳥文庫のローカルルールに従ったものと思われます。
 次に、目次を見ていきましょう。1−1から2−5の現在パートは、2−2の章タイトル「子どもの言葉」が「子どものことば」に改められているだけで、大きな変更点はありません。しかし未来パートは以下のように大きく改められています。

理論社
3−1 星間ベース
3−2 誤報
3−3 非改善種
3−4 キーワード
3−5 投影機

青い鳥文庫
3−1 星間ベース6−5
3−2 最後の戦い
3−3 反転

 ここからも、未来パートは大幅に修正されていることがわかります。特に青い鳥文庫版3−3の章タイトル「反転」が今回の改稿のポイントになっているという方向に、今後話を進めていく予定です。以下章ごとに大きな修正ポイントを確認していきます。

1−6 運動会

 現在パートのターニングポイントである「運動会」の章に、興味深い修正ポイントがありました。木原奈美がリレーで転んでしまった走者を助けようと立ち止まってしまった事件について、圭とパリーが話し合っている場面で、次のように圭の台詞が追加されています。

「あのさ、パリー、もしかしたら、ぼく、いったかもしれない。」(中略)
「ぼく、あの時、奈美に、戻れ、っていった……んじゃないかな。」
青い鳥文庫版p96-97)

 この台詞のない理論社版では、奈美が聞いた「戻れ」という言葉は後に登場する未来パートのケイのものであると解釈するのが自然です。しかしこの台詞が追加されたことで、この言葉に現在パートの圭の意思も介在していた可能性が出てきます。「戻れ」という言葉は非改善種がたどりついた「手をさしのべる」という思想を体現するものですから、現在パートの圭にこの思想が前倒してあらわれた意味は大きいでしょう。

1−8 後始末

 柿沢先生が校長の方針を擁護する台詞が少し変更されています。理論社版では「そうだ、競争原理の確立、子どもの時から、あらゆる生存競争に打ち勝つ心を養う。これは、それなりにりっぱな考えだと私は思う」となっていた部分が、青い鳥文庫版では「そうだ、競争原理の確立、子どもの時から、あらゆる生存競争に打ち勝つ心を養う。これは、これでまあ、それなりにりっぱな考え……ではないかと……いや、お考えだと私は思う。」と、ためらいの感じられる表現に修正されています。
 パリーが校長に学校から出ていてほしいと叫ぶ場面で、「どっか、洞窟かどっかにどじこめるわけにはいかないんですか!」という台詞が追加されています。シリアスなストーリーの中で、この笑いを取れる台詞の追加は清涼剤になっています。次の章で追加されているの松岡夕子の「カツ丼食うか?」というギャグなども同様の効果がありました。

2−2 子どものことば

 鮎川先生が先生を志した理由を語る場面がまるまる削除されています。そのため、後に清水由紀が「あたしのエネルギーをあげる」と言って鮎川先生に抱きつく場面がややわかりにくくなっています。

2−5 プラネタリウム

 現在パートから未来パートへのつなぎとなる部分に赤い星を登場させて、理論社版よりドラマチックな演出がなされています。

未来パート

 未来パートは大幅に変更されているため、章ごとに読んでいくとかえって混乱してしまうのでまとめて見ていくことにします。ここでは重要と思われる変更点を3つほど指摘しておきます。

科学批判部分

 スガが改善種が非改善種を恐れる理由を推測する場面において、科学文明を批判している部分が削られています。実はここは理論社版の大きな弱点となっていた部分でした。現在パートでは管理教育や全体主義的なものを批判していたはずなのに、ここにきて科学文明に矛先を向けるのは唐突で説得力に欠けるものになっていたからです。ですから、この部分を削除した判断は妥当なものだと言えそうです。科学批判の部分としては、非改善種が改善種とは違い伝統的な方法で生殖をしていることに対する言及も削られていました。生殖技術の発達と浸透を考えると、伝統的な方法を絶対視することで他の方法を批判するのは、今日では穏当とは言えません。こちらも妥当な判断です。ただし、それにともないケイが「(伝統的な生殖方法を含めた非改善種の動物的な面について)おれはそのことを誇りに思っているんだ。なぜならそれがおれの喜びだからだ」と叫ぶシーンが削られていたのはもったいなかったです。児童文学で生殖行為が喜びであると言い切った冒険心は記憶されるべきです。

戦闘描写

 青い鳥文庫では、非改善種が好戦的な発言をする部分や、非改善種が改善種に対して積極的に攻撃をする部分が削られています。終章において圭が未来の幻視を回想する部分の変更からも、その方向性は明確です。

(ぼくらは、宇宙のどこかにいた。そして、戦争をしてたんじゃ……。)(理論社版p278)
(ぼくらは、宇宙のどこかにいた。そして、攻撃されてたんじゃ……。)(青い鳥文庫版p257)

 非改善種が非暴力に徹したことによって、青い鳥文庫版では彼らの無謬さがより強固になっています。

反転

 ストーリー面での大きな変更点は、星間ベース6−5が敵艦隊に向かって「反転」する場面を追加したことです。これは現在パートの運動会の再現となっており、現在パートと未来パートの接続がわかりやすくなっています。いや、非改善種の遺志が時を越えて六年五組のメンバーに宿ったと取るならば、むしろ運動会の方が未来の「反転」の再現と解釈すべきなのかもしれません。
 いずれにせよ、非改善種の「反転」というふるまいは、彼らのマイノリティの側からマジョリティの側に歩みよって「手をさしのべる」という思想を行動面で具体化したものになっています。先に指摘した運動会での圭の台詞の追加や、非改善種の戦闘描写を抑える方向での修正も、「反転」して「手をさしのべる」という思想を補強するための修正だと言えそうです。
 青い鳥文庫版の修正は、「手をさしのべる」という思想を明確化する方向に働いているということで、今回の結論とします。