児童文学は性の越境をどう描いてきたか その1 入れ替わり・性転換
2 芸能と「女装」
「女装」を扱った児童文学作品を採集していると、芸能に関係した作品が多いことに気づきました。
本人の性自認にかかわらず演技として一時的に「女装」できるので、状況設定をしやすい点、歌舞伎の女形など、伝統的に芸能の世界では「女装」が受け入れやすい点などが理由として考えられます。
小谷野敦は、演劇関係者の「女装」や男性同性愛に関して、「役者の身体というものが、観客の視線にさらされるという性質、ならびに演技をする=仮面をかぶるという性質のゆえに、男性性の剥奪という側面を持つからではないか」*1と述べています。
芸能と「女装」が関わる作品は、大きくふたつのパターンに分けられます。戸籍上の性と性自認に齟齬があり恒常的に「女装」している人物が、職業としてショービジネスや水商売に従事しているパターンと、性自認が男の者が、何らかの目的を達成するためだったり、誰かに強制されたりして、一時的に「女装」するパターンです。
第1のパターンの作品はとしては、『両手のなかの海』*2『超・ハーモニー』*3『ぼくはアイドル?』*4の3作品が挙げられます。
『ぼくはアイドル?』には、「女装者」には「水商売やショービジネスに向いてない性格でも、この仕事に就くしか生計を立てるしかない」、つまり「職業選択の自由」はないのだと、ベテランの「女装者」が語る場面があります。これらの作品は、現在の「女装者」がおかれている厳しい現実を反映した設定がなされていると考えてよいでしょう。
「女装者」が未成年なので上に挙げた3作品とは趣が違いますが、両声類という特殊なやり方で「女装」して歌手として活動する『カエルの歌姫』*5もこちらのパターンに含めます。
次に、第2のパターンの作品を紹介します。
『ぼくたちはシグナル・ギャルズ』*6は、少年たちが景品目当てで「女装」してご町内の芸能大会に出場する話です。
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この作品では、「女装」を異常視する視点が巧妙に隠されています。歩は文化祭への出演を渋りますが、それはあくまで漫才がいやなのであって、「女装」がいやだということは表面化しません。学校側が文化祭での漫才を弾圧しようとする展開もありますが、これも漫才がふざけているから弾圧するのであって、「女装」を弾圧しているのではありません。
作品内で歩を女性の視点から消費しようとするさまが露骨に表現されているのも目を引きます。貴史の母親は過剰な言葉で歩の美貌を愛でますし、歩と貴史の関係をBLとして消費しようとするクラスメイトの女子も登場します。
文学、演劇、映画、漫画など様々なメディアで「異性装」がどう扱われたのかを検証した佐伯順子の『「女装と男装」の文化史』*8では、男性アイドルの「女装」についてこのように述べられています。
若さ、いわば“少年性”を魅力とする男性芸能人が、自らのアイドル性を高めるために女装を利用する現象は、二十一世紀のメディアにも連綿と受け継がれている。女装は男性アイドルの女性とも男性ともつかぬ両性具有的魅力を引き出し、そのカリスマ性を演出するための重要な手段の一つなのだ。
『The MANZAI』における歩の「女装」も、同様に消費されています。
また、前掲の小谷野論文は、「現在においては演劇の観客は圧倒的に女性優位である」とし、「フェミニズム理論は、男が眼差すものであり女は眼差されるものだと言うが、こと演劇に関してはこの理論は当てはまらない。現代日本の劇場は、もっぱら女性観客が男性俳優を眼差す場なのである」と指摘しています。
あさのあつこが児童文学というメディアで、「女装」を手がかりとしてこういった眼差しの転覆を成し遂げたことは、フェミニズムにとっては大きな革命だったのかもしれません。
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「何言ってんだ、こいつ。/そういうのってふつう、女の方が言うセリフだろ。――いや、ほんとはぼくも男なんだけどさ、今は〈外見的には〉あっちが男でこっちは女なんだから、そんな風に言われるとめちゃくちゃ腹が立つ。」
ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』という、男から女に性転換した人物の架空の伝記小説がありますが、そこでこのような衣裳哲学が語られています。
個々の人間の内面の男性女性は流動的なもので、男らしさ女らしさをつかさどるのは服装だけ、一皮むけば皮と中身は正反対となる場合も間々あるのだ。*9
『ぼくはアイドル』はまさにこのような、服装によって内面が規定される現象が描かれているのが特徴的です。(続く)