『自分を育てる読書のために』(小幡章子)

自分を育てる読書のために

自分を育てる読書のために

中学校の学校図書館司書の実践報告なのですが、とても不思議な内容でした。
まず、ノートルダム清心女子大学教授の脇明子による「はじめに」がよくわかりません。
脇明子は冒頭で、小学生に対する公共図書館の貸出冊数が2007年に過去最高になったという文科省の社会教育調査のデータを出します。このデータをみれば通常であれば読書推進運動が成功したように思うはずですが、彼女は年齢が上がるにつれ読書率が減るというデータを根拠にそれを否定してしまいます。
脇明子はさらに読書運動の失敗の論拠を出すのですが、それが「大学の新入生たちが読書に対してみせる抵抗感は年々つのる一方」というもの。わたしのような不勉強な人間には、これは印象論にしかみえず、数値で歴然と出ているデータを覆すものとは思えません。
この文章では年齢が上がるごとに読書率が下がるというデータは提示されているのですが、不思議なことにそれがいつの間にか、「すっかり本離れしてしまっているいまの中高生たち」「いまどきの若者たち」と、世代論にすり替えられてしまいます。今の中高生が昔の中高生より本を読まないというデータは提示されていません。
でも、脇明子のような専門家からすれば、若者の読書離れはデータを出すまでのない自明のことなのでしょう。学校読書調査のデータ*1は、おそらくデタラメなんですね。
さて、メインは小幡章子による実践報告なのですが、これも不可解です。彼女が中学生にすすめる本をみると、そのほとんどが岩波書店の翻訳児童文学、岩波でなければ福音館書店の本なのです。日本の作家は全く存在感がありません。あさのあつこ佐藤多佳子森絵都も出てこないのです。
もしかしたらこの本、新刊だと思って読んだけど昭和の本だったのかなと思って奥付を確認してみると、2011年の発行になっています。もし彼女が旧弊的なブランド信仰の持ち主でないとすれば、この選書は高度すぎて、わたしのような素人には真意がはかりかねます。
ひとつだけこの本の不可解さを説明する方法を思いつきました。きっとこの本は、日本の児童文学・YAが全然育たなかったために、中高生が本を読まなくなってしまった、パラレルワールドから迷い込んできたんですよ。