『ピース・ヴィレッジ』(岩瀬成子)

ピース・ヴィレッジ

ピース・ヴィレッジ

岩瀬成子は、少し年齢の離れた子供同士の微妙な関係性を描くのが達者です。大人から見れば少しの年齢差でも、子供から見れば大違いです。たとえば、『ステゴサウルス』や『小さな獣たちの冬』。大人になりかけた子供と、まだ子供の側にとどまっている子供のすれ違いが繊細に描かれています。
そして、岩瀬成子といえば忘れてはならないのが、基地のある町の話です。『朝はだんだん見えてくる』『額の中の街』といった問題作が初期の段階で生み出されていました。
最新作『ピース・ヴィレッジ』には、岩瀬成子を特徴付けるこのふたつの要素がつめこまれています。
主人公は基地の町に住む小五の少女楓。今年中学校に入った年上の友人紀理ちゃんからなぜか距離を置かれるようになってしまい、楓は思い悩みます。
紀理の父親は基地反対闘争をしている活動家で、紀理も父親の志を継ごうとしていました。一方で楓の家は米兵も出入りするスナックを営んでいました。紀理はこの立場の違いを慮り、距離をとろうとしていたのです。
紀理は父親の「一人の市民として、一人の市民に向かって」語りかけるという思想を楓に聞かせます。その時楓は、おばさんの「人はだれともけっして同じになることはできない。どんな場合もひとりなんだ」という言葉を思い出します。
紀理の父親の言う「一人」は、連帯の可能性を含んだ政治的な文脈の「一人」です。他方、おばさんの「ひとり」は孤独を意味しています。
楓は「一人」と「ひとり」のはざまで浮遊します。でも、紀理とのあいだには確かなつながりをつかみます。
初期作品のような目に見える過激さは影を潜めていますが、それでもうっかり触るとやけどしそうな熱を秘めているように感じられました。