『むだに過ごしたときの島』(シルヴァーナ・ガンドルフィ)

むだに過ごしたときの島

むだに過ごしたときの島

親友のアリアンナと鉱山を見学していたジュリアは、カラフルな煙を出す火山のある不思議な島に迷い込んでしまいました。その島に住んでいる子どもたちの説明によると、この島には迷子やなくしたものが迷い込んでくる島だとのこと。ここに迷い込んでくるような大人は子どもの親の役をやろうなんて余計なことを考えないので、子どもたちは迷い込んできた老人をクレバスに放り込んだり(殺しているのではなく、こうすると元の世界に戻すことができるらしい)して気楽に暮らしていました。ジュリアとアリアンナもだんだん島での暮らしになじんでいきますが、やがてアリアンナが人食い族につかまってしまうという事件が起こります。
お説教要素だけを取り出せば、わかりやすい作品ではあります。簡単にいえば、『モモ』+『はてしない物語』です。ただし、ファンタージエンを襲う虚無のでどころが東洋のとあるブラック国家であるという設定がユニークです。なんでもその東洋の島国では、「いま日本では赤ちゃんでさえ一瞬もむだにはしない、とこの本に書いてある。日本人の人生は生まれてまもなくプログラムに組み入れられてしまうんだ。のんびりしている時間などまったくないんだよ。二歳になればもう、なんらかの成果をあげろ、あげろ、あげろだ。恐るべきことじゃないか!その結果がまたひどい。おとなになるころには病んでいて、自殺までしてしまう」とのこと。皮肉なことにその東洋の島国では、30年ほど前にエンデが大流行したことがあったとか。
しかし説教はわかりやすいですが、深読みをさそうわけのわからない要素もあります。この作品は、Sという作家がジュリアの体験を元にして書いた小説と、Sのジュリア宛の投函されなかった手紙が交互に出てくるという構成になっています。Sはジュリアから体験のすべてを聞いているわけではなく、自分の想像で書いている部分もあると明かしていて、小説の内容を疑うように読者を誘導しています。Sはジュリアに特別な感情を持っており、その感情が内容をゆがめている疑いも持たれます。
作中では、アリアンナが自分にとって都合のよすぎる友達であることに気づいたジュリアが、アリアンナは自分の空想上の友達ではないかと疑うという意表をつく展開も起き、さらにわけのわからないことになります。
ひさしぶりにガンドルフィの邦訳『ネコの目からのぞいたら』が出たので、既訳の作品も再読してみましたが、やはりこの人の本はわけがわからなくていいですね。ぜひもっと翻訳が出てほしいと思います。