『宗教で読み解くファンタジーの秘密』(中村圭志)

宗教で読み解く ファンタジーの秘密 I

宗教で読み解く ファンタジーの秘密 I

宗教で読み解く ファンタジーの秘密 II

宗教で読み解く ファンタジーの秘密 II

宗教性という観点から漫画やアニメも含む内外のファンタジーにアプローチした評論です。
ファンタジーを「宗教的なロジックやモチーフを試験管の中に封じ込めた「バーチャル宗教」」と捉える著者の視点は、宗教からも文学からも適度な距離がとられています。特定の宗教に肩入れすることなく、C・S・ルイスや宮沢賢治のようなガチの宣教文学にも、対抗文化として東洋思想を取り入れたル=グウィンやエンデにも、はたまたアンチ宗教のフィリップ・プルマンにも、全方位に辛辣な論評をしているので、読み物として大変おもしろかったです。
たとえば、『ゲド戦記』の前半3作と後半3作の方針転換について、「そもそも、ル=グウィンの作品世界が、抽象性に満ちた箴言的な世界であったことも、大手術を可能にした理由であろう。均衡とか、陰とか陽とかいうロジックは、両義性に富んでいるので、均衡の頂点にあったはずのゲドを、不均衡な人間と読み替えても、話は通じたのである」と、みもふたもないことをいっています。
ハリー・ポッター』については、規律面においては宗教的だが思想面では「宗教」的スタイルから距離を置いていると分析しています。ここに『ハリー・ポッター』の現代性を評価する着眼点がユニークです。また、『ハリー・ポッター』の政治的正しさを保証しているのがローリングのロン萌えであるという論考もおもしろいです。
本筋とは離れたところですが、前書きで心理学的な読みを排した理由を説明している部分も興味深いです。

ファンタジーの宗教的モチーフを、無意識の心理学から読んでいくと、どうしても個人の精神の癒しの側面が強調される。この場合、宗教が社会的トラブルを生むからくりが、必ずしも見えてこなくなる。宗教のモチーフは無意識の情念のみならず、意識的な論理や社会的な制度にも支えられている。そこのところを、むしろ見ていく必要がある。
また、無意識の心理学は臨床的な意図を持っており、無意識の奥底から生まれる癒しの力を「信じて」いるところがある。つまりどこか神秘的である。伝統的な宗教は物事を神仏の働きとして解釈したが、無意識もまた神仏のように捉えどころがない。
(『1』p15-16)

臨床心理学は信仰であり神秘であり、ある意味宗教よりも宗教っぽいと。