- 作者: まはら三桃
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2014/04/09
- メディア: 単行本
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作中で何度も繰り返される、名前が本質を規定するという思想が虚無的でおもしろいです。校歌にあった「制勝」という軍国主義的な単語が「清爽」に書き換えられ、予備校講師に転職した教員は芸名を名乗るようになり、そして「エンドー」くんも……。
世代の違う教員がそれぞれの短編で主人公を務めるので、大人が読むとそれぞれの世代の背負ってきた背景が想像され、楽しく読めます。ただし、メインターゲットである10代の読者には、まだ発達段階的にそれを理解するのは難しいのではないかという懸念はあります。とはいえ、新しい視点を提供する役割は果たせるでしょう。
この作品に出てくる生徒は、「エンドーくん」に関する落書きをしたりする、主役の教員側からみればほとんどアノニマスな存在になっています。こういった子どもの描き方も、YA作品としてどう受け止められるのか興味深いところです。
ラストの短編では、ある教員が中学時代にのちに妻になる女性と演劇をしたというエピソードが語られます。ここでわたしは、田中慎弥の『神様のいない日本シリーズ』を連想しました。これは、いじめで不登校になった息子に父親が、部屋の扉の前で自分と妻が中学生のころやはり演劇をしたという思い出を語って聞かせる話です。
書評家の豊崎由美は、この話はほとんど男の妄想であり、そもそも扉の向こうに息子などいないと読んでいます。このほか、『図書準備室』でも聞き手が融解するという現象を、田中慎弥は描いていました。『伝説のエンドーくん』は田中慎弥のように作中レベルで受け手を融解させるのではなく、現実のレベルで10代の読者を融解させる試みをしているのではないでしょうか。