『かぐや姫のおとうと』(広瀬寿子)

かぐや姫のおとうと

かぐや姫のおとうと

いま触れている物語とリンクするように、現実でも似たような出来事が起こるという体験をしたことはあるでしょうか。もちろんそんなものは偶然でしかないのですが、それがわかっていてもなんとなく特別な感じがするものです。この物語の主人公、小学校を卒業してまだ中学生になっていない無所属の少年想も、そんな体験をします。
想は、竹工房を営んでいるおじの玄の家に行く途中の竹林で、いさき丸と名乗る少年と出会います。自分はかぐや姫のおとうと(最初は兄だったが、かぐや姫の成長スピードが早いのでいつの間にか抜かれて弟になった)だと名乗り、他人に乗り移って転生を繰り返してきたといういさき丸の身の上話を、想は少しずつ聞いていきます。その物語と符合するように、想のふたりの姉の身辺に変化のきざしが訪れます。
想の長姉がはるかという名前の黒髪ロングの美少女で、あだ名がヒメという紹介がなされて、しばらくしてからはるかの飼っているインコの名前が月影であると明かされ、いやな具合にかぐや姫との符合が重なっていきます。別れの予感を徐々に盛り上げていく手つきが憎いです。
姉の飼っているインコに、「荷物持ちがいなくちゃ新幹線にもまともにのれないヒメが、アメリカになんか行けると思うか」「やめた方がいいよね、めんどうみる弟がいないところじゃ、ヒメは生きていけない」と語りかける想の愛情は、少し行きすぎているような懸念も持たれます。
姉との別れを阻止しようとする想、かぐや姫を月に帰らせないように画策したいさき丸、そしてもうひとり、想の母になった妹の結婚に反対したために絶縁状態になっている玄と、この物語には3人もシスコンの男が登場するという、なかなか珍しい登場人物の構成になっています。このシスコン・トライアングルの中でさらに姉妹を奪い合うという闘争が繰り広げられます。ともすれば独占欲ともなりかねないような家族の情愛が切なく描かれているところに、この作品の魅力はあります。
ここからは邪推になるので、話半分で聞いてください。この作品では想には見えない大人の事情が隠蔽されている疑惑が持たれます。想の姉のはるかは父の連れ子で、二番目の姉の涼と想は父母が同じですが、はるかとは母が異なります。この離婚再婚の経緯は玄の口から断片的にしか語られませんが、その情報から想像するに父側が有責っぽいのに親権が父にいっているのが不可解で、背景には複雑な事情がありそうに思えます。また、〈涼〉〈想〉という似た名前を付けることで自分の子どもとはるかとのあいだに区別を付けたり、結果的にはるかに大学進学をあきらめさせたりしている母は、想の見えないところで継子虐待をしているのではないかという妄想をすることもできます。
以上はあくまで妄想ですが、そのような想像を許す余白をあえて残すことで、想の見ている世界が限定的なものであることが暗示されているのは確かです。狭い世界のなかだからこそ想の思いの純度は高まり、その痛切さが読者の胸を打ちます。