『わたしがいどんだ戦い 1939年』(キンバリー・ブルベイカーブラッドリー)

わたしがいどんだ戦い 1939年

わたしがいどんだ戦い 1939年

1939年のロンドン、ドイツ軍の空襲の懸念のため、子どもたちは田舎に疎開させられることになります。しかし、10歳の少女エイダは疎開を許されていませんでした。内反足のエイダを差別していた母親に部屋に監禁されていたからです。第二次世界大戦以前から、エイダの戦争は始まっていたのです。
エイダは母親に隠れて家を脱出し、疎開者の列にまぎれこもうとします。母親に隠れて歩く練習をして、自分の靴は持っていないのであらかじめ母親の靴を盗んでおいて、不自由な足で決死の覚悟で外の世界に飛び出します。家から出るというただそれだけのことが、彼女にとっては大冒険なのです。
疎開先で、かつて同性パートナーと暮らしていて今は死別している進歩的で教養のある女性に世話されることになったり、金髪のお嬢様と友達になったりという展開は、当時の社会事情を考えるとファンタジーであると捉えざるをえないかもしれません。でも、人間としてきちんと尊重される経験を積まなければ、子どもは人間らしく育つことはできません。
この作品ではもちろん戦争の悲惨さも詳細に描かれていますが、それよりも母親の非道さのほうが強烈な印象を残します。エイダはある意味戦争のおかげで母親の支配から逃れられたのですから、冗談でも皮肉でもなく「希望は、戦争。」だったのです。
この作品を読んで思い出されるのは、ジェラルディン・マコーリアン(マコックラン)の『ジャッコ・グリーンの伝説』です。世界の危機を救う冒険をして帰還した少年が、DV姉には相変わらず弱いままだったという、なんともやりきれないラストが苦い後味を残す作品でした。『わたしがいどんだ戦い 1939年』も、同様の苦さを持っています。疎開先でさまざまな学びを得て人間としての尊厳を取り戻したはずのエイダも、母親の心理的な支配のくびきからはなかなか解放されません。家庭というものの重さを考えさせられます。