『理科準備室のヴィーナス』(戸森しるこ)

理科準備室のヴィーナス

理科準備室のヴィーナス

この人はいけない先生だ。そういうことを言ってはいけないって、先生になるための学校で習わなかったのだろうか。先生はこんなふうに生徒を区別しちゃいけないはずだ。
(p104)

中学1年生の瞳には、小学生のときからずっと気になっていた女の子がいました。同級生の南野さん。小4のとき、サンタを信じている子に証拠をみせろと詰め寄った南野さんに「まだ信じてる子に、あんなこと言っちゃだめなんだよ」と諭して以来、瞳はなにかと南野さんに目の敵にされ、中学校でおなじクラスになってからもいやがらせを受けていました。でも、中学校でもっと気になる人に出会います。それは30代の理科の教員人見先生。人見先生には、金曜日の放課後職員会議が始まる5時まで理科準備室でおやつを食べてすごす習慣がありました*1。瞳はおなじクラスの正木くんと、その時間を共有することになります。
同級生との人間関係の軋轢、学校にお決まりのオカルトめいたうわさ、自分だけが誰かの特別になれると思いこむ傲慢。作品世界は耐え難いほどの空虚さに満たされています。しかし、その空虚さこそが思春期の本質のひとつでもあります。それを描いているという点では、この作品は優れたリアリズム児童文学であるといえます。
そして作品は、その空虚さを覆い隠す魔法が解けてしまう様子を残酷に描いてしまいます。なぜ自分は南野さんに執着していたのか、人見先生はなぜ自分を気にかけてくれたのか、合理的な説明がなされてしまえば、もはやさまざまなことに幻想を持てなくなってしまいます。
瞳は、自分の人見先生への気持ちだけは、その特権性を守りたいと願います。正木くんの先生への気持ちは「素直で単純で、簡単に名前がつけられる」ものだが、自分のは違うのだと。でも、いろいろな機微を言葉にして説明してしまえる頭のよさを持っている瞳には、本当はわかっているはずです。「名前がつけられない関係」なんてのも、ただの紋切り型にすぎないということを。

*1:どうでもいいことですが、残業前提で会議のスケジュールを組んでいるこの学校の、もはや建前を守ることすら放棄したブラックさはすげーなと思いました。