『青空トランペット』(吉野万理子)

青空トランペット (ティーンズ文学館)

青空トランペット (ティーンズ文学館)

吉野万理子にしてはあまり闇の感じられない健全児童文学です。
とあるベイスターズファンの一家の2016年の物語。小学6年生の広記は、父親と妹の奈奈、友達の健太郎トモちんの5人でよく野球観戦に行っていました。ところが、母親から「応援される人じゃなく、応援される人になれ」と言われた健太郎が、野球の応援から遠ざかってしまいます。そのほかにも周囲の人々の状況が変わってきて、広記も自分の「ゆめ」を見つけなければならないのではと焦り始めます。
子どもは大人のいい加減な言葉で惑わされるものです。健太郎の母親の発言がなくても、子どもは大人から将来の方向性を早く決めろと急かされてばかりで大変です。この作品は、もっと適当でいいんだと子どもを励ましているようです。
野球少女のトモちんは、野球一本に打ち込まなければならないと思いこんでいましたが、ソフトボールに転向することを決意します。「ゆめ」なんていくらでも変わっていいのです。
子どもだけでなく、大人だって変化します。ベイスターズ三浦大輔だって引退して別の道に進みますし、無責任発言をしていた健太郎の母親もオプティミストだったのにある出来事をきっかけにペシミストに転向してしまいます。
広記の妹の奈奈は視力が弱く、学校では拡大テレビを利用して勉強していました。でも、性教育の時間をきっかけに自分の書いていることが後ろの子に見られることを意識するようになり、拡大テレビを使用をやめてしまいます。
これだけで児童文学1本のテーマになりそうな大きな問題ですが、作品のひとつのエピソードとして流されるのが贅沢です。奈奈の決断が正しかったのかどうかは判然としません。外野からは工夫すれば技術的に解決できる問題のようにもみえますが、実際予算や手間を考えると難しいこともあるのでしょう。こういうデリケートな問題に絶対的な正解などありませんし、試行錯誤しながらよりよい方法を模索するしかありません。
人はいくらでも生き方を変えられるという適当さを許容しているところが、この作品のいいところです。タイトルから予想がつくように、広記は応援団になってトランペットを吹くことを目標に定めます。でも、この作品世界であれば、広記が3日でトランペットに飽きたとしても許されるような感じがします。