『オール・アメリカン・ボーイズ』(ジェイソン・レノルズ ブレンダン・カイリー)

黒人の少年ラシャドと白人の少年クインのふたりが交互に語り手を務める構成の作品です。店で万引きを疑われたラシャドは無抵抗にも関わらず白人警官のポールに執拗に暴行され、鼻や肋骨を折る大けがをさせられます。クインはたまたまその様子を近くで目撃していました。クインの所属するバスケチームの友人であるグッゾの兄が暴行犯のポールで、以前いやなやつをポールにぶちのめしてもらった恩もあったので、クインはとりあえず事態にはあまり関わらないようにします。
突然の不条理に見舞われたラシャドの心情を、作品は克明に追いかけていきます。

おれは被害者なんだけど、それでも正直なところ、もうかまわないでほっといてくれよって言いたい気持ちもあった。

被害者という立場を否応なく与えられることの理不尽さ、どうせ警官は裁かれず同じことが続くのだという諦観、怒りに燃えすぐ行動を起こそうとする兄との距離、状況のなかでラシャドは身の置き所を見失います。瞬く間に拡散される暴行現場の動画も、それが自分にとってなんなのか理解することは困難です。それでも、周囲の支えもあり、自分なりの抵抗の方法を探っていきます。
クインの方も、難しい立場です。彼は決して裕福ではありませんが、バスケで成り上がりたいという夢を持って生きています。ラシャドとの大きな違いは、ポケットに手を入れただけで警官に射殺されるかもしれないという恐怖とは無縁でいられることです。一番楽なのは、現状に流されること。しかしクインも、自分のやり方を見直さざるを得ない状況に追いこまれます。

バスケとそれ以外の生活を分けられないのは、現在と歴史を分けられないのと同じことだ。この国に人種差別があるのなら、どこかにそこだけ差別のない場所なんてあるわけがない。

なにより力を持つのは、事実の重さです。イギリスでは人種に関わらず警官に殺された人の数は年間1名。それに対しアメリカでは週あたり2名の黒人が白人警官に殺されているということ。そして、殺害された人々にはそれぞれ名前があったのだということ。物語のクライマックスは現実の抵抗運動とも重なり、読者の感情を強く揺さぶります。
ラシャドパートは黒人作家のジェイソン・レノルズ、クインパートは白人作家のブレンダン・カイリーが担当する共作の形式の作品。この試み自体に分断を乗り越えようという祈りと決意がこめられています。