『ネムノキをきらないで』(岩瀬成子)

おじいちゃんの家のネムノキが伐られることになり、伸夫は悲しみにくれていました。ネムノキの件と、ドアを閉めたときに偶然クモを殺してしまったこと、このふたつの出来事にショックを受け、伸夫は言葉をうまく発することができなくなってしまいます。

ぶつかりあったことばは、のどのあたりでかたまりになってしまっていて、口にはどんなことばものぼってこなかった。(p8)

口にだしてなにかいおうとすると、とたんにそのことばの意味がわからなくなってしまうのだ。元気っていうのはどういう感じのことだっけ、と思ってしまうのだ。(中略)自分がそんなあやふやな感じでいることを一体どうやって先生に説明することができるんだろう。そう考えただけで、もうどんなことばも浮かんでこなくなるのだ。
(p34-35)

子どもの未熟さや混乱ゆえにうまく言語化できないことを明晰に翻訳してみせること、これも子どもの本の役割のひとつであると思います。最近の作品では、森絵都の『あしたのことば』がそんな役割をうまく果たしていました。ただし、この役割は文学でなくても果たすことができます。言葉にできないことをそのまま受け止めることこそが、文学にしかできないことなのではないでしょうか。そんなことを考えされられる作品でした。
テーマがテーマだけに、作品は観念的な方向に傾きがちです。ただし、伸夫を理解しない大人との対立や、そんな伸夫のそばにいてくれる幼なじみの芳木くんの存在、動物病院の医者の家の庭に犬猫のゆうれいがでるといううわさなど、補助線になる要素がいくつもあるので、読みにくさは感じさせません。岩瀬成子の完全に観念寄りの作品といえば、現代児童文学最大級の奇書である『あたしをさがして』ですが、この『ネムノキをきらないで』はそんな作品を理解するための有力な手がかりになりそうです。