『夜叉神川』(安東みきえ)

夜叉神川

夜叉神川

安東みきえの短編集。
第1話の「川釣り」は、釣りという共通の趣味があったことからクラスの人気者の辻くんとふたりきりで遊ぶことになった少年の話です。辻くんは堂々たる性差別主義者で、狩りは男の仕事であると語り、要領の悪い少年に対し侮った態度をとります。少年はそんな辻くんに追従しています。がっちりした体格に似つかわしくない女子のような顔・赤い舌の辻くんを見つめる視線から、少年が辻くんに性的魅力を感じているようにも受け取れます。サバイバルナイフを持って猫殺しをするという少年犯罪者像は90年代の古い類型から抜け出せていません。しかし、ホモソーシャルな空気の醜悪さを描く手つきには鬼気迫るものがあります。
第1話が闇BLなら、第3話の鬼ヶ守神社は闇百合です。奈津と苺は、美少女のリョウを崇拝していました。リョウは劇団のオーディションを受けることになります。そして奈津は、苺がリョウのライバルの子を丑の刻参りで呪っているらしいことを知ってしまいます。
女性が恋に狂って人外に堕ちるというのは説話や民話の世界の類型で、現代では性差別的とも受け取られかねません。奈津の理解は、神と鬼・善と悪は表裏一体、好くことと呪うことは表と裏と、薄っぺらいです。
薄っぺらさでいえば、第4話の「スノードロップ」が一番です、わざとみんなから嫌われるような行動をとっている孤独な老人に自殺して悪い理由を問われた少年が、「命は、自分だけのものじゃないです」と、小学校の校長先生の講話かよってくらい薄い回答をします。もちろんここで子どもが衆人を納得させるような立派な回答を出してしまったら、リアリティに欠ける話になってしまいます。この薄さにこそどうにもならない現実の重みが宿っています*1
さっきから類型的とか薄っぺらいとか褒め言葉にみえない語を連発していますが、これは反転すれば武器となります。薄っぺらさこそが人間の本質であるという残酷な事実を、作品はあぶり出しているのです。その薄ら寒さを白日の下にさらしてしまう筆致の鋭さを、安東みきえは持っています。