2021年の児童文学

高いレベルの芸術性と子どもにも理解できる大衆性・娯楽性を両立できるところに、児童文学の偉大さはあります。幼年の不安定な世界をおバカ女子のあまりにもおバカな語りで描いたこの作品も、その好例です。最高に頭が悪いのに叙情的で幻想的な奇跡の文体芸に酔いしれることができます。芸術性と大衆性の両立をなして光と闇のバランスのよい『オイモ』に対し、こちらは完全に闇寄りの作品。庭・老女・タイムスリップという児童文学の王道をなぞり娯楽性を獲得しながら、読者を地獄の世界に導きます。闇と退廃の伝道師高楼方子の真価が遺憾なく発揮された傑作。『ココの詩』『時計坂の家』と並んで高楼闇路線の代表作として語り継がれていくことでしょう。怪奇幻想性で『黄色い夏の日』に詰め寄る迫力を持っていたのがこれ。小学生男子がひそかに人魚を飼育する物語で、主人公の肥大した自意識と人魚の不気味さが独特の幻想世界を作りあげています。児童文学に必要なものといえば、社会派要素も外せません。『#マイネーム』は、生徒同士を名字に「さん」づけで呼びあわせる学校の強制に反抗して、自分で名乗りたい名前を名乗ろうとする中学生たちの物語です。「少年文学宣言」を理論的支柱とするいわゆる「戦後児童文学」の文脈にしっかりつらなる作品で、社会運動の熱気が力強く描かれています。それでいて、社会運動が道を踏み外すさまにも触れているところに現代性があります。社会派作品では、多文化共生というデリケートなテーマを扱いながら、差別される側にいる多様なルーツを持つ子どもたちに自虐キャラ暴走キャラという過剰なキャラづけをして娯楽性を獲得しているこの作品も印象に残りました。難しいテーマを娯楽性に振り切って描いたのはこの作品。宇宙人にさらわれた中学生たちが理想の世界を問われそれをシミュレーションされるが、シミュレーションの結果ことごとく人類は滅亡してしまうという極端な設定の連作短編です。極上のブラックユーモアで、人類にとって幸福とはなんなのかという難問が検証されます。日本児童文学特有の創作民話の手法で、情念の世界をねっとりと描いたこの作品も、強烈な印象を残しました。島で暮らす鬼ばばと、島に流れてきた人間たちの邂逅を描いた物語。島に流れてくるものは弱者ばかりなので、必然的に作品世界は陰鬱になります。自分が分裂してしまうという存在の不安に、SFと不条理とユーモアで味つけを施し、いかにも理論社らしい不条理スタイリッシュな童話に仕上げた作品です。こういう理論社っぽさは今となっては貴重なので、できるだけ長いシリーズにしてもらいたいです。最後に、翻訳作品で好きなのを2作紹介します。『見知らぬ友』は、人生の苦みを感じさせる短編集。特におすすめなのは、癖のある語り手が写真を媒介としてふたりの老女の仲立ちをする老境百合「クラス一の美少女」です。見た目が他の人と異なっているために差別を受けている女性ゴリランと、ゴリランに引き取られた孤児のヨンナの絆を描いた作品。どんなに虐げられても希望を捨てず、文学を愛し、年齢差はあってもヨンナと対等な関係性を結ぼうとするゴリランの、理性的で繊細で高潔な人物像に魅了されてしまいます。