「ドーム郡ものがたり」(芝田勝茂)

ドーム郡ものがたり (ドーム郡シリーズ)
ドーム郡ものがたり (ドーム郡シリーズ)」(芝田勝茂
 ドーム群3の発売が迫っているので、今までの内容を復習しておこうと思います。ネタバレ配慮はありません。
 まずは主人公のクミルについて。「おくびょうものとは、別れたいんです!」という弱者切り捨て発言や、ラストの愛も夢も希望も捨てて自分の弱い面であるフユギモソウをたたききる行動などで、彼女には正直あまりいい印象は持っていません。でも、読み直してみると結構色々葛藤はあったようです。最初は森で育った汚れを知らない天然少女のように見えますが、フユギモソウのせいでうじうじしたり、強くあろうとして暴走したり、いろんな変容を見せています。それでもわたしの最終的な評価は変わりません。クミルは強く正しいが故にきらいだし、強く正しいが故に大好きなんです。
 クミル変容のきっかけのひとつであるドーム群シリーズでおなじみのヌバヨシステム*1についても言及しておきます。簡単に言えば他人を頼るのはやめて自分の力で事態を打開しようと言う思想です。文句のつけようのない正しい思想です。しかしクミルのやろうとした、「フユギモソウに立ち向かうためにみんなの心をひとつにする」というのは芝田勝茂のきらいな全体主義に通じるものとはいえないでしょうか。ヌバヨシステムについてひとつ判然としないことがあります。それは、ヌバヨシステムが一握りの人間にヌバヨとしての活躍を期待するものなのか、それともすべての人間にヌバヨとしての覚醒を強いるものなのかということです。どちらにしても正しいことは正しいと思うのですが、素直に承諾しがたい気持ちもあります。それはドーム群シリーズとしてヌバヨをめぐる物語が繰り返される意味を探ることで解決されると思います。3にもヌバヨが登場するかわかりません。もしかしたら今までとは違った意味を与えられるかもしれません。いずれにせよ近い内に2を読んで、ヌバヨの物語をあえて2回描いた意味を考えたいと思います。
 しかし再読して思ったのですが、ドーム群シリーズはずいぶん壮大な背景を抱えているようです。1巻だけでも解決されていない伏線がたくさんあります。なにやら物々しいアイテムは出てくるし、一番の問題はかかしが何者か明快な答えが出ていないことです。風呂敷を広げようとすればいくらでも広げられそうです。3だけといわずライフワークとしてもっと長大なシリーズにしてもいいかもしれません。
 とりあえず「ドーム群小史」を所持している「わたし」とやら。外国の本を扱う会社の仕事はいいから「ドーム群小史」の完訳版を早急に出してください。もしくはその本と辞書をわたしにくれ。