「そして5人がいなくなる」(はやみねかおる)

そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノ-ト (講談社青い鳥文庫)
そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノ-ト (講談社青い鳥文庫)」(はやみねかおる
 遊園地で起こる天才児消失事件に、社会不適合者の名探偵夢水清志郎と三つ子の少女亜衣真衣美衣が挑む。
 ミステリ部分に関しては文句ありません。導入で三つ子の正体を看破しとりあえず名探偵のすごさを見せつけ、その後メインの大仰で見せ物的な謎をまきちらす。好きな人にはたまらない展開です。でもそれ以上に物語としてすばらしい。なぜならこの作品が「正しい大人の姿」を描いているからです。
 「正しい大人の姿」……。こういう読み方をするようになったとは、わたしも年を取ったことを感じます。子供の立場から見ればこの物語は、「夏休みにおもしろい大人と一緒に過ごして楽しかった」という理解で十分だと思います。でも大人の立場から見れば、「大人が子供を守る話」に見えてきます。そういう意味でこの物語に出てくる大人は正しい。夢水清志郎も三つ子の母親の羽衣も、上越警部も(たぶんわかっていたのでしょう)そしてあの人もりっぱに子供を守っています。
 亜衣に「いまの子どもと昔の子どもと、どっちが幸せだと思う?」と尋ねられた夢水清志郎はこう答えます「どっちも幸せだよ。子どもは、いつの時代だって幸せなんだ。また、幸せでなくちゃいけないんだ」と。これが大人として正しい答です*1。そして大人としてこれが実現できるようにしなくてはならないんです。
 考えてみればはやみねかおる自身も正しい大人です。プロフィールには「クラスの本ぎらいの子どもたちを夢中にさせる本をさがすうちに、みずから書きはじめる」と書いてあります。そして彼は見事にその目的を達成しています。なかなかできることではありません。いまや「はやみねかおるを知らない小学生はモグリ」と言っていいくらいに彼の本は売れています。子供が喜ぶものが結局子供のためになることを知っている。そしてそれを提供する力を持っているんです。これは理想の大人像だと思います。 

*1:わたしなんかはひねくれて「今の子供も昔の子供も同じように不幸だ」といいたくなりますが