「ちいさいモモちゃん」(松谷みよ子)

ちいさいモモちゃん モモちゃんとアカネちゃんの本(1) (講談社青い鳥文庫)

ちいさいモモちゃん モモちゃんとアカネちゃんの本(1) (講談社青い鳥文庫)

 もう40年以上前の作品になりますが、いまだに幼年童話の代名詞といえばこれです。匹敵するのは「いやいやえん」くらいか?全6巻の最初の本。モモちゃんの誕生から、三才になって保育園にはいるまでのお話です。
 最初はモモちゃんが誕生するエピソードからはじまります。ニンジンさんタマネギさんジャガイモさんがやってきて、お祝いにカレーをごちそうすると申し出ます。何かがものすごく間違っている気がしますが、それはどうでもいいことです。幼少期のカオス的世界なんてこんなものです。
 しかし動物が話し、空の雲の上で遊ぶような混乱はモモちゃんの成長とともに平定されていきます。初めは不思議なことが何の疑問もなく描かれていますが、「あかちゃんのうち」で動物園に行くエピソードは夢落ちになってしまいます。
 最終章の「風の中のモモちゃん」でのモモちゃんの成長ぶりは瞠目ものです。三才になり保育園にはいることになったモモちゃん。ところが保育園のストーブが故障してしまったために、モモちゃんは一人外で遊びます。「あかちゃんのうち」で暖まるようにすすめられますが、自分はもう赤ちゃんではないと断固拒否します。この幼いなりの矜持とたくましさには拍手を送らずにはいられません。風の中で「うわあい、モモちゃん、大きいんだもん!」と叫びながら走り回る場面は、日本の児童文学の中で指折りの名場面だと思います。
 思えば、ここで終わらせておけば「ちいさいモモちゃん」はただの名作だったのです。続けてしまったためにめでたくトラウマつきの超名作になってしまいました。

トラウマ児童文学としての「ちいさいモモちゃん」

 エキサイトブックスhttp://media.excite.co.jp/book/news/topics/093/p05.html)でもネタにされていますが、やはりこのシリーズはトラウマを生みますよね。
 わたしが例の「モモちゃんとアカネちゃん」以降にたどり着いたのは小学何年生の時だったか。当時のわたしの脳の処理能力を完全に超える内容でした。だってお父さんが靴しか帰ってこなくなって、木になって、死神が出てきて、とどめは「お客さんのパパ」ですよ。理解できませんって。
 作者には子供を怖がらせようという意図はあったのでしょうか?たぶんなかったと思います。なのに結果として、どんなホラー小説より強烈な恐怖を子供に植え付けてしまいました。児童文学は怖い。