「モモちゃんとプー」(松谷みよ子)

モモちゃんとプー モモちゃんとアカネちゃんの本(2) (講談社青い鳥文庫)

モモちゃんとプー モモちゃんとアカネちゃんの本(2) (講談社青い鳥文庫)

 日本児童文学で一番有名な黒猫といったらプーでしょう。つづいてジジやブンダバーが来るか?印象に残った話に簡単にコメントします。

かげをなめられたモモちゃん

 ウシオニにかげを食べられたため、命を落としそうになるモモちゃん。ママはウシオニを追いかけてモモちゃんのかげを取り戻そうとします。
 アンデルセンの「ある母親の物語」を思わせる、壮絶な母親の愛の物語です。ただし敵がウシオニで、結局ママがウシオニのお尻をペンペンして菜食主義に改心させるという筋立ては、なんとも和ませてくれます。

クレヨン ドドーン

モモちゃんとコウちゃんは、戦争ばかりしているテレビの世界に飛び込みます。そこで対応にクレヨンと画用紙を込めて打ち出すと、へいたいさんたちは喜んで戦いをやめます。しかし夢から覚めると、やはり戦争は終わっていませんでした。
 ストレートな反戦ものなので、好き嫌いは分かれるでしょう。モモちゃんの素朴な疑問「どうしておとなたちはせんそうするの?せんそうなんかやめて、ご本よんだり絵をかいたりすればいいのに、ぞうさんとか、お花とか、それからおよめさんとか、さ。」に対して、子供が納得できるように説明することはわたしにはできそうにありません。
 「ねえ、せんそう、どこまでくるの?えきまでくるの?かどの、おかしやさんまでくるの?おうちまでくるの?モモちゃん、こわいよ」こう泣かれたらなんにもいえないよな。大人のいう政治的な言説がいかに説得力のないものかがわかります。

モモちゃんのおいのり

 モモちゃんは急にわたあめが食べたくなります。ママにいうと、お祭りや縁日のある日じゃないと売っていないといいます。モモちゃんは日曜学校の先生にいわれたことを思い出し、わたあめを食べられるようにおいのりをします。すると、空の上のおほしさまのおまつりでわたあめを食べる夢を見ることができました。
 このわたあめのおいしそうなこと。お祭りという非日常に結びつけて憧れをあおるのも憎いです。

あかちゃんとおるすばん

 ママがお出かけしてしまって、モモちゃんはあかちゃんとお留守番をすることになります。ところが赤ちゃんが泣き出してしまいます。モモちゃんはどうしていいかわからず、プーや牛乳びんやスプーンを伝令にとばしてママを呼んできてもらいます。

れいい れいい れいい わうう うう
おうん ぎゃあ ぎゃあ

 これがあかちゃんの泣き声です。すばらしい擬音のセンス。こんな泣かれ方をすればもう意味もなく罪悪感を感じてしまいます。あかちゃんはこわい。