- 作者: 朽木祥,山内ふじ江
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2005/10/31
- メディア: 単行本
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散在ガ池に住む河童の八寸が主人公。八寸の兄の六寸と七寸が人間の前に姿を現したために、河童の世界は人間に荒らされそうになり大騒ぎになります。この騒動のため八寸の家族は家から姿を消し、幼い八寸はひとりで取り残されてしまいます。ひとりの八寸が家族と遊んだことを思い出しながらひとり遊びをするさまは、孤独感が詩情豊かに描かれていて読ませます。河童の長老は八寸の居場所がなくなりつつあることを心配して、八寸を猫の姿に変え人間の世界に修行に出すことにします。
ここまでで全体の5分の1くらい。ここまでは面白そうだったんです。河童が10年間で人間の1才分成長するというタイムスケールの違いはうまく使えば楽しい仕掛けを作れそうでした。河童が猫になる時の制約があることも面白い。水を浴びたり、河童の食べ物を食べたりする友との河童の姿に戻ってしまう。こんな危機に陥った時にどうやって切り抜けるのか。読者の興味はこのあたりに集中するはずです。
ところがこのあと、物語は八寸を無視して、八寸が人間の世界で出会った少女麻にシフトしてしまいます。この少女が母親を亡くしてふさぎこんでいるというわっかりやすい欠落を持っていて、この少女をいやすことが物語の主眼になってしまいます。もはや八寸は麻をいやすためのツールに成り下がってしまいます。八寸の修行とか、河童の世界と人間の世界の確執とか、いなくなった家族の謎なんかはものの見事にスルーされてしまいます。
麻が主人公になってからは、地の文や登場人物の口から作者の意見がしつこく出てきてうざったいことこの上ない。この作者はもっといいたいことを抑えることを覚えないと。そこまで説明的にしなくても読者は作者の意図をくみ取りますよ。子供が読者だと思ってなめすぎてはいまいか。
選評でも斎藤惇夫や脇明子、工藤左千夫が酷評*1しているのに、なぜこのタイミングで出版されたのか疑問です。まあたぶん河合隼雄がほめたんだろうと思います。あいつはちょっと心理学の視点では語れそうなネタがあると大喜びするからなあ。