『幸せな家族 そしてその頃はやった唄』(鈴木悦夫)

 ブランコがつるされたリンゴの木。その下に佇む姉と弟。この本をはじめて手に取ったとき見る表紙のイラストは、決してインパクトの強いものではありません。しかし驚愕の結末にたどり着き、リンゴの木とブランコの意味を知ってからあらためて見ると戦慄するはずです。
 断言します。本書は児童書ミステリの最高傑作です。さらに最強の有害図書でありトラウマ児童文学であり、しかもシスコン文学の金字塔。いくらほめてもほめたりない作品です。ミステリ的な仕掛けの派手さはもちろんですが、それ以上に物語に描かれている家族愛の美しさに価値があります。これを埋もれた名作にしておくのはもったいないです。ぜひ復刊させて、さらに多くの子供の心にトラウマを植え付けないと。復刊投票はこちらにお願いします。*1

とうとうぼくはひとりになった。
この一年のあいだに、ぼくの家族はぽつりぽつりと死んで、最後に、ぼくひとりがのこった。
はじめは父だった。つづいて兄が死に、母が死に、姉が死んだ。そしてもうひとり、家族ではないけれども、ぼくの親友も死んだ。
ぼくはいま、ひとりぽっちだ。

 これが冒頭です。はじめからまったく救いがありません。「その頃はやった唄」の歌詞の内容通りに次々と家族が変死していきます。
 ネタバレ厳禁なたぐいの作品なので、既読の方のみ以下を読んでください。



 語り手犯人とか、子供が犯人とか、動機が「たいくつ病」とか、センセーショナルな話題には事欠きませんが、一番重要なのは家族愛がテーマであることだと思います。愛とは清く正しく美しいものだとは限りません。むしろ歪んでいて間違っていて、にもかかわらず美しい愛こそ魅力的に見えたりします。
 肥大した自己愛の延長として娘を愛する父親。彼の性質は、全ての子供の名前に自分と同じ「一」の文字を入れていることから透けて見えます。いまわの際に咄嗟に偽装工作をする悲壮な姿は、愛ゆえとしかいいようがありません。
 そして救いようもなく相思相愛な姉と弟。作品のキーパーソンはなんといってもこの怜悧で美しい姉です。児童文学でここまで性的な存在として描かれている女性はめったにいません。姉の性質を考えると、あのラストは単純に弟による姉殺しと解釈していいのか疑問が出てきます。あれは心中ではないかという解釈は当然出てくると思います。もしくは、弟による無理心中か、それとも姉による無理心中か。ここまで来ると妄想でしかありませんが、最初から全ての事件を姉が操作していたのではないかとさえ思えてきます。
 いずれにせよ、彼らが深い愛情の絆で結ばれていることは間違いありません。その意味で「幸せな家族」というタイトルは全くうそ偽りのないタイトルです。表紙下にタイトルの英訳が出ていますが、これが「happy family」ではなく「blessed family」であることにも作意が感じられます。

*1:2023年8月追記:中公文庫での文庫化が決定しました。