「竜退治の騎士になる方法」(岡田淳)

竜退治の騎士になる方法

竜退治の騎士になる方法

 以前は仲がよかったが学年があがるにつれて疎遠になっていた康男と優樹。そのふたりがプリントを取りに放課後の学校に行きます。そこで竜退治の騎士を名乗るジェラルドという男と出会います。(以下ネタバレ配慮無し)
 わたしはこの作品のあまりのわかりやすさにとまどってしまいました。竜退治の騎士になる方法がトイレのスリッパを揃える事って、説教としてわかりやすすぎます。しかも語り手の康男がさかしらなガキで、無粋にも読書感想文の模範解答のようなことを言ってしまいます。
 一方でこの作品にはわかりにくい面もあります。康男という語り手の問題です。この作品は出だしから「あのころ」の話であることが強調されています。つまり実際の語り手は、この物語のあったときから遠く離れたときに存在しているのです。しかも序盤でさもご機嫌伺いのように優樹を男だと勘違いさせる叙述トリックまで使って見せます。康男という語り手がなにかしらの作意を持っているということは間違いなさそうです。ということは、このテキストは深読みをしようと思えばいくらでもできるということになります。最終的には語り手の信頼性にまで踏み込めるかもしれません。今回はこのテキストを深読みするヒントを書こうと思います。

語り手の問題

 すでに指摘しましたが、この「竜退治の騎士になる方法」というテキストは出来事のあった10年後に康男が記述したものです。まず基本としてなぜ康男がわざわざ10年前のことを書いたのかという問題設定ができます。

主人公の問題

 端的に言って語り手の康男はしゃべりすぎです。康男は頭もいいし、家庭的に問題を抱えているわけでもない、その上夢をいっぱい持っている少年です。目に見える課題がないのです。この物語を成長物語として考えるなら優樹を主人公にした方がすっきりします。夢を持たない少女が竜退治の騎士とついでに役者になるという目標を見つけたのだから、非常にわかりやすくまとまります。タイプの違う二人を主人公にすることで物語は動かしやすくなっています。でも敢えて優樹を主人公にしなかった理由はそれだけではないと思います。冷静な康男を語り手にすることでこの物語にはいい距離感ができています。さらに語りの時点とも時間的な距離もあります。距離感はこの作品を語る上でのキーワードのひとつになると思います。問題はなぜ作者が距離感を演出したのか、その意図です。

タイムラグ

 細かい部分ですが、わたしが疑問に思ったことをもうひとつ書いておきます。それは、優樹と康男が竜を見えるようになった時間にタイムラグがある事です。なぜ優樹の方が先に竜を見えるようになったのか。優樹の方がおめでたくて物事を信じやすい人間だったからという単純な理由なのか。わたしはこのあたりのどこかで康男の記述に虚偽があるのではないかとにらんでいます。
 といったところで、今回は疑問点だけ挙げて投げっぱなしのまま終わります。