「魔法使いの伝記」(佐野美津男)

魔法使いの伝記 (文学のひろば 13)

魔法使いの伝記 (文学のひろば 13)

 変な本を読んだなあと言うのが率直な感想です。
 女の子が魔法使いである「所沢のおばあさま」や、「所沢のおばあさま」の所属している魔法使いの結社から魔法を習うというのが大まかなストーリーです。主人公のヨーコが夜中に近所のたばこ屋兼文房具屋に消しゴムを買いに行った際、店先の赤電話がなって「所沢のおばあさま」から呼び出されるという印象的な幕開けを見せます。そこはいいのですが、その前に語り手であるヨーコは、なぜ夜中に買いに行かなければならないほど消しゴムというものが大切なのかについて、1ページ近くを費やしていいわけがましく説明するのです。不必要と思えるところでやたら理屈っぽいのがまずこの作品の変な点です。些細なことにこだわって、ヨーコの語りはすぐに脱線してしまいます。
 たとえば「深い沈黙」という表現を使ったヨーコは、特に筋には関係ないのに、この言葉にこだわって考察してみます。深い沈黙というと海底の静けさのようだが、実は海底はやかましいのだと。むしろ沈黙は山奥に例える方がいいかもしれない。でも、山奥だって鳥は鳴くし、川の流れもあるし、うるさいはず。なので結局何に例えることもせずに、「だからわたしは、深い沈黙とだけいいましょう。」という結論になりました。そんなことはだれも聞いていないんですけど。この思考の気儘さは、実際の小学生の思考の飛び方を考えればリアルなのかもしれませんが、それを小説の形で語られると異様に感じてしまいます。
 かと思えば、いきなり「神」という壮大なテーマに挑んだりもします。しかしその結論は「神さまはなまけもの」というよくわからない上に脱力なものでした。
 また、作品内の会話も変な味を出しています。魔女の先輩としてジャンヌ・ダルクに興味を持ったヨーコと所沢のおばあさまの会話がこんな具合。

「ヨーコ、あとで気が変わると困るから、いまここで参考までに言っておきますが、ジャンヌ・ダルクは、おまえとはちがって、けっして美しい娘ではありませんでした。昔のひとは、ともすると歴史上の女性をたいへんな美人のようにいいつたえましたから、ジャンヌ・ダルクも、男装の美少女のように思われていたりするのですが、ほんとうのところは、かなり太目のブスでした。」
「おばあさま、ブスでも、魔法使いにはなれるのですか」
「のぞましいことではありませんけれど、たまにはブスの魔法使いもいるのです。でも、魔法使いだってブスより美人の方がよいにきまっています。うぬぼれているわけではありませんが、わたしがそれなりの魔法使いになれたのも、ブスではなかったからです」

 所沢のおばあさまはなにかジャンヌ・ダルクに恨みでもあるのでしょうか。にしても言っていることは無茶苦茶です。また、母親とヨーコも心温まるものすごい会話をしています。

「きれいなお花畑のある、お城のようなところにすめたら、すいぶんすてきでしょうね。」
「気味の悪いこといわないでよ。そういうことを三〇すぎの女がいうのは異常だと思うけど。」

 なんて殺伐とした家庭だ。
 このように変なところを挙げていくときりがありません。しかしその変さがなんとも心地よい。やっぱり佐野美津男はすごいです。