「日本という国 よりみちパン!セ」(小熊英二)

日本という国 (よりみちパン!セ)

日本という国 (よりみちパン!セ)

 二部構成になっていて、第1部では明治の義務教育の始まりについて、第2部では戦後日本の歩みにつて解説されています。
 第1部は中学生向けということで、毎日学校がかったるいと思っている子供達にむかって、福沢諭吉の「学問のすすめ」を題材として学校教育の意味を語りかけています。端的に言えば教育の目的は富国強兵に他なりません。しかし、そのためにすべての国民にある程度の教育が与えられると、「貧にして智ある者」が生まれてしまいます。貧しい者が教育を受けると、現状に不満を持ち反政府思想を持ってしまう危険がある。ではそれを防ぐために何をすればいいか。道徳教育を施せばよいのです。修身や歴史教育によって「自分はりっぱな日本人だ」という自覚を養い、国家に対する忠誠心を持たせると。「国家に対する忠誠心」という言葉を「愛国心」と言い換えてもよいでしょう。なんか最近よく聞く話のような気もしますが、あくまで明治時代の話です。
 ここで披露されている教育観は、おそらく一般市民の感覚とはかけ離れたものに感じられるはずです。なぜならこれは、子供の立場から見た教育ではなく、親の立場から見た教育でもなく、教員の立場から見た教育でもないからです。これは統治する側から見た教育です。国が教育に向ける志なんて、この程度のものだと思っている方が無難です。「教育は人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。(教育基本法第1条)」なんてことを統治機構としての国は全然思っていやしません。だからこそ教育基本法は現行のまま、準憲法として国家に対する命令としての機能を持たせておいた方がいいと思うのですが、それはまた別の話。
 第2部は明治から時代が一気に飛んで、戦後日本をアメリカとの関係を軸に追っていき、論点を9条改正の動きに持っていきます。ここはわたしも初めて聞く話が多くて勉強になりました。アメリカの世論調査によると、半数近くのアメリカ人は在日米軍が日本の軍事大国化を阻止するためにいると思っているのだそうです。いまだに日本ってそういう扱いなんだ。アメリカでこうなのだから、アジア諸国はいわずもがなです。だとしたら国際協調のためにとるべき道は簡単だと思うのですが。
 朝鮮戦争時に保安隊の隊員の証言も印象に残りました。海外派兵という事態になったらどうするかと聞かれ、「それはおことわりします。われわれはことわる権利はあると思うんです。」「そういう時は、ここをやめるですね。外国の内乱のために血を流すなんてぼくにはできないです。」と答えています。現在の自衛隊員にこのように答える自由があるとは思えません。昔の方が日本は自由だったんだ。
 三島由紀夫が「『憲法改正』を推進しても、却つてアメリカの思ふ壺におちいり」「韓国その他アジア反共国家と同列に並んだだけの結果に終ることは明らか」と発言していたことも初めて知りました。ということはもし今三島が生きていたら彼は護憲陣営にまわったかもしれないのか。想像してみるとちょっと面白いかも。