「電話がなっている」(川島誠)

電話がなっている (ニューファンタジー 3)

電話がなっている (ニューファンタジー 3)

 この短編にはじめてであったのはどの本だったでしょうか。国土社の「電話がなっている」か、「今日はこの本読みたいな」シリーズの「だれかを好きになった日に読む本」か、それとも角川文庫の「セカンド・ショット」か、はたまたポプラ社のSFコレクション「地球最後の日」か。どの本で読もうがこの短編のすごみは変わりませんが、やはり、「だれかを好きになった日に読む本」で読むのが一番インパクトが強いでしょう。
 「だれかを好きになった日に読む本」はその脳天気なタイトルに似合わず、トラウマ本として有名です。何しろ最後の2作が、那須正幹の最終核戦争ストーリー「ジエンドオブザワールド」と、この「電話がなっている」なのです。さぞやいたいけな子供達の心を傷つけたことでしょう。
 私のはじめての出会いは、「だれかを好きになった日に読む本」でした。おそらく小学校高学年あたりだったと思います。そして学生になってから再読したのですが、仰天しました。私の覚えていたストーリーに、全然記憶にないエピソードが追加されている。じつは、あの衝撃的な性描写が、読んでいたはずなのに記憶からすっぽり抜け落ちていたのです。
 なぜこんな現象が起こったのか。人肉のインパクトに気を取られて印象に残っていなかったからなのか。それとも小学生ゆえ性的な話が理解できていなかったのか。あるいは、あまりのショックのために記憶の底に抑圧してしまったのか。
 なんにしても、児童文学の中でもっとも性的にエキセントリックな少女が出てくる話であることは間違いありません。もし小学生のわたしが正しく理解していたら、もう女の子が怖くなって仕方がなかっただろうと思います。
 現在は入手難*1ですが、できれば国土社の短編集「電話がなっている」も読んでもらいたいです。何よりこれには長谷川集平の挿絵がついていますから。川島誠と長谷川集平という若い才能がこんな挑発的な本を出したことには大きな意味があったはずです。以下に国土社版に収録されている表題作以外の作品の感想を書きます。

幸福とは撃ち終わったばかりのまだ熱い銃

川島誠のデビュー作です。銃がそのまんま性器のメタファーになっています。それをストレートに描いた長谷川集平のイラストも衝撃的です。

「田舎生活(カントリーライフ)」

 消火器爆弾を作ってテロを企てる少年の物語。国家公務員の息子で何度も引っ越しをしているのですが、今度の引っ越し先がド田舎。美しい母親が輝きを失っていく様子に少年は心を痛めます。田舎を侮蔑の対象としか見ない特権意識の持ち方がものすごい。田舎に過度の幻想を持つ都会人もいやらしいですが、この物語の主人公の感覚にはもっとついていけません。典型的なエディプスコンプレックスをめぐるお話です。

「ぼく歯医者になんかならないよ」

 こちらも父親との確執がテーマです。歯医者の息子ながら競争心に乏しくあんまり成績もぱっとしない少年竹内ヒロミが主人公。わたしは車をめぐる歯医者のお父さんの見解にショックを受けました。

ボルボだってそう。スウェーデンの鉄でできていて、世界一がんじょうな車だそうだ。乗用車どうしでしょうとつしたら、絶対に勝つ。前がへこむくらいで、乗っている人はだいじょうぶ。お父さんは、歯医者をしていて、からだが資本だから、自分のからだを大切にしてるからボルボを買ったんだっていう。それだったら、カローラに乗ってる人のからだはだいじじゃないの?その人たちは、お金がなくてボルボが買えないんだからしかたないっていうのが、お父さんの考え方。お父さんは、いっしょうけんめいにはたらいて、努力して出世したからボルボが買えた。なまけものは、カローラに乗ればいいんだって。

 社会が弱肉強食であることをここまでわかりやすく身も蓋もなく説明した文章はみたことがありません。

「悲しみの池、喜びの波」

 「電話がなっている」の「君」に匹敵するくらい怖い少女が登場します。中3の進は、小2のいとこのクミちゃんにいきなり「さわりたければね。クミのことさわってもいいよ」なんていわれてしまうのです。話を聞くと、本当は好きなたかゆき君にだけ触らせたいんだけど、そうすると他の子がかわいそうだから、みんなにさわらせてあげているのだといいます。何を考えているんだ小学2年生。
 クミちゃんをネタにした進の妄想もぶっとばしすぎています。妄想とはいえ(というか妄想だからこそ)直接的な性描写では川島作品で一番過激かもしれません。それにしてもよくこんな本を平然と出版できたもんだ。

*1:今一番復刊ドットコム様にがんばってもらいたい本です。交渉はしてはいるようですが。