- 作者: 寺村輝夫,和歌山静子
- 出版社/メーカー: 理論社
- 発売日: 1994/10/01
- メディア: 新書
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第4話の「たんじょうびのプレゼント」では、当日作ることになっている誕生日のケーキを前日に作ってくれとわがままをいう王さまにこまりはてた大臣、博士、コックが一計を案じます。
コックさんは、ケーキをつくりました。
たまごは一九六こもつかいました。さとうとクリームもたっぷりいれて、さいごに白いこなぐすりをぱらぱらぱら……。
白いくすりのせいで王さまは幻覚を見ることになります。この国ではけらいが王さまの食べるものに一服盛ってもいいらしい。恐るべき国です。でもそんなのはまだ序の口。
第5話「わるい子になりたい」は、いつも怒ってばかりいる大臣を困らせるために王さまがいい子になるお話。大臣は怒るのが好きだから、いい子になったら怒れなくて大臣が困るだろうという考えです。もちろんいい子になったんだから怒るはずがありません。業を煮やした王さまは今度はいつも通りわがままを言いますが、いったんいい子だという評価を受けてしまうと何をしても善意に解釈されて、大臣はちっとも怒りません。「王さま」シリーズのセルフパロディである「消えた2ページ」でも扱われた不条理をテーマにしています。
第3話の「たまごがいっぱい」は王国の恐怖政治っぷりが綿密に描かれています。大好きなたまごを独り占めしたいと思い立った王さまは、城の中にあるテレビ局に乗り込んで*1、「いいか、よくきけ。いまから、たまごをたべてはいけないことにきめる。たまごをたべたら、ろうやにいれるぞ。それから、よくきけ。これからは、めんどりは、たまごをうんではいけない。もしうんだら、すぐにころしてしまえ」「ただし、わしひとりは、たまごをたべてもいい。おしろのめんどりだけは、たまごをうんでもいい」とのたまいます。
こまったのはにわとりさん。仕方がないのでめんどりが産んだたまごをおんどりが土に埋めてしまうことにします。王さまはテレビで自分の昼食の風景を放映し、「こんなうまいものを、わしひとりがたべられるなんて、なんてしあわせなんだろう。わしのしあわせは、国じゅうのしあわせ」とのたまいます。間違いなく革命が起きるでしょう。ところがここで立ち上がったのがにわとりでもたまごが食べられなくて不満たらたらの子供達でもなく、仕事がなくなって困っていたフライパンだというのがおどろきです。真っ赤になって怒ったフライパン達が王さまの部屋に乗り込みます。フライパンの熱気のせいで王さまが大事に持っていたたまごがかえります。たまごはあっという間に成長し、またたまごを産みます。さらにたまごはかえり、また成長してたまごを産み……、部屋中どんどん増殖するにわとりとたまごに埋め尽くされる悪夢のような光景が繰り広げられます。
王さまは、へやじゅういっぱいになった、おやどりと、ひよこと、たまごに、ふみつぶされてしまいました。
この想像力のぶっ飛び方はやはりどうかしています。でも論理的な破綻はないのがこれまたすごいです。
不条理という点で一番なのは「カレンダーは日よう日」。勉強がいやなのでずっと日曜日になってほしいという王さまの願いがなぜ叶ってしまうのですが、なにか変。王さまを起こしに来た大臣はたまごを買ってこいと言いつけます。王さまは「たまごなら、とりごやのにわとりが、うむはずだぞ」と反論しますが、大臣は「王さま、なにをいうのですか。にわとりは、たまごなんかうみません。たまごをうむのは、カメレオンだけです」と言って聞く耳を持ちません。お城の外にはさらなる不条理ワールドが待っていました。たてがみでバナナをあたためるライオン、やがてバナナから字がうまれてきます。やはりどうかしています。こんなすごい作品をこともなげに楽しんでいる日本の子供の読書リテラシーは、実はものすごくハイレベルなんじゃないだろうか?