- 作者: リチャード・ペック,斎藤倫子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2006/04/22
- メディア: 単行本
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ティリーの家には父親はなく、母親と妹のキャス、そしてふたごのきょうだいのノアと暮らしていました。ある日ニューオーリンズから汽船に乗って、謎めいたふたりの少女がグランドタワーにやってきました。上流階級のにおいを感じさせるデルフィーンとその奴隷と思われるカリンダ。ふたりはティリーの家に住み込むことになります。魅力的なふたりの少女との交流を深めつつ、やがて不穏な戦争の影が訪れます。
差別や戦争を題材にあまり知られていないアメリカの歴史が語られていて、非常に読み応えがありました。しかしこの作品で絶望的に描かれているのは、男と女の断絶ではないかと思います。作品の大部分は女であるティリーの語りですが、エピローグは男である「私」の語りで締めくくられます。そこで父親から戦争に行くことを聞かされた「私」はこう述懐します。
戦争によって少年はおとなの男になる――祖母のティリーには理解できないことだった。
ここでいままでのティリーの語りとはかけ離れた戦争観が登場し、愕然としてしまいます。読者は必然的に、南北戦争時代の物語を家族の中で唯一の男であるノアの視点から読み直すことを要求されます。
では、ノアの視点からこの物語を見るとどうなるでしょうか。まず、ふたりの美少女となし崩しに同居。都合よく父親は不在。着替えを覗くお約束のイベントあり(未遂)。あれ、少年漫画誌に必ずひとつは載っている萌え漫画のような設定です。そういう見方をしてしまえば、デルフィーンは典型的なお嬢系ツンデレキャラだし、感動的な秘密とトラウマを持っている。ノアにとっては都合のよすぎる女の子です。
さて、少年漫画的な見方をすると、この話は父親と息子の戦いであるとも読みとれるでしょう。最後の最後で唐突に不在の父親が敵軍側で戦っていたことが明かされます。巨人に入った息子をたたきつぶすために中日のコーチになった星一徹のようなものか。しかしこの展開はあまりに唐突すぎて、作者がなにをしたいんだかよくわかりません。
様相がだいぶ変わってきました。ティリーの語りでは感動的な話だったのに、ノアの物語として読むと隙が多すぎます。一読後は絶賛するつもりだったんですけどね。冗談はともかく、この作品がどういうスタンスで戦争を描いているのかがはっきりするまでは、評価は保留せざるをえません。